今の身延町
山梨県の南部、南巨摩郡にある町です。町の中を富士川が流れ、東の端は本栖湖の湖岸にかかります。日蓮宗の総本山・身延山久遠寺の門前町として知られます。千円札や五千円札に描かれた「逆さ富士」は、町内の中ノ倉峠から本栖湖越しに撮られた写真がもとになっています。旧中富町の西嶋和紙や、旧下部町の下部温泉など、合併前の3町それぞれの名物が残ります。
今の身延町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,663人です。今の区域で数えた1980年の23,222人とくらべると54.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.7%です。
主な産業:観光(久遠寺・温泉)、ゆば・まんじゅうなどの食品加工、手漉き和紙
特産品・名産
- 西嶋和紙旧中富町の手漉き和紙
- みのぶゆば町内の食品加工品
- 身延饅頭町の名産・特産に挙げられる菓子
- あけぼの大豆町の名産・特産に挙げられる大豆
見どころ・祭り
- 身延山久遠寺日蓮宗の総本山
- 中ノ倉峠『逆さ富士』の写真が撮られた峠
- 下部温泉郷旧下部町の温泉地
- にしじま和紙の里道の駅に併設された和紙の施設
木シダレザクラ花ヤマユリ鳥ブッポウソウ身延町の木・花・鳥
身延町のなりたち
身延町(みのぶちょう)は、山梨県峡南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、18の町村がありました。八日市場村・伊沼村・飯富村・落居村・大須成村・西島村・静川村・曙村・下九一色村・下山村・大河内村・豊岡村・山保村・古関村・久那土村・共和村・富里村・身延村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の身延町になりました。
今の名前「身延町」は、1920年にあった身延村の名前を受け継いでいます。ほかの17の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の身延村が約17km²だったのに対し、今の身延町は約301km²と、およそ17.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南巨摩郡・西八代郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧久那土村の区域には久那土駅(身延線)があります。
「身延町」という名前
「身延」という地名の語源は、はっきりしていません。今の町名は、日蓮宗の総本山・身延山久遠寺がある旧身延町の名を受けついだものです。2004年(平成16年)に身延町・中富町・下部町が合併したとき、新しい町の名は公募によって選ばれました。旧身延町は、1875年(明治8年)1月に身延村・波木井村・梅平村・大野村がまとまってできた身延村にさかのぼります。
まちの成り立ち
身延の地には、鎌倉時代に南部氏の一族の波木井実長が館を構えました。1274年(文永11年)には実長の保護のもとで日蓮が草庵を開き、のちの身延山久遠寺になります。戦国時代には武田氏の一族の穴山氏が下山に館を築いて、この地方を治めました。江戸時代は久遠寺の門前町が栄え、山あいでは紙漉きや楮・三椏の栽培が行われました。
1889年(明治22年)7月1日の町村制で、南巨摩郡に身延村・豊岡村・福居村(のちの下山村)や西島村・大須成村などが、西八代郡に富里村・大河内村・久那土村・古関村・共和村などが発足しました。身延村は1931年(昭和6年)に町制を施行して身延町となります。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)に富里村が町制を施行して下部町に、西島村・大須成村・静川村・曙村が合併して中富町になりました。1955年(昭和30年)2月11日には身延町が下山村・豊岡村・大河内村と合併し、改めて身延町が発足します。中富町は1955年に原村を編入し、下部町は1956年に久那土村・古関村・共和村と合併しました。
平成の大合併では、2004年(平成16年)9月13日に身延町・中富町・下部町が合併し、今の身延町が発足しました。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、南巨摩郡に身延村・豊岡村・福居村・西島村・大須成村・切石村・八日市場村・伊沼村・飯富村・曙村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、西八代郡に富里村・大河内村・久那土村・古関村・共和村・下九一色村・山保村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1892年9月1日明治25年切石村が改称し、静川村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1896年3月7日明治29年福居村が改称し、下山村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1931年1月1日昭和6年身延村が町制を施行し、身延町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1933年7月1日昭和8年八日市場村・伊沼村・飯富村が合併し、原村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年4月1日昭和29年西八代郡富里村が町制を施行するとともに改称し、下部町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年8月17日昭和29年西島村・大須成村・静川村・曙村が合併し、中富町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年11月3日昭和29年西八代郡下九一色村が分割され、北部の大字が三珠町の発足に加わり、残りの折門・八坂が古関村に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1955年2月11日昭和30年身延町・下山村・豊岡村と西八代郡大河内村が合併し、改めて南巨摩郡身延町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年西八代郡山保村が分割され、山家の一部が市川大門町に、久保・嶺・大山と山家の一部が久那土村に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1955年8月1日昭和30年原村が中富町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年西八代郡の下部町・久那土村・古関村・共和村が合併し、改めて下部町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1958年4月1日昭和33年西八代郡下部町の一部(大字宮木・下田原)が中富町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2004年9月13日平成16年身延町・中富町と西八代郡下部町が合併し、改めて南巨摩郡身延町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。