今の早川町
山梨県の南西端、静岡県と県境を接する山あいの町です。北と西に南アルプス、東に櫛形山系、南に身延山地が囲み、山林が大部分を占めます。町の中央を早川が流れ、急な斜面に四十ほどの集落が点在します。町外へ通じる道路が限られ、マイカー規制がある区間もあります。温泉や、雨畑硯の産地として知られ、人の少ない山あいの町です。
今の早川町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,098人です。今の区域で数えた1980年の3,005人とくらべると63.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.1%です。
主な産業:温泉などの観光、茂倉うり・シカ肉などの山の産物、建設業
特産品・名産
- 雨畑硯町の名産として知られる硯
- 茂倉うり茂倉集落に伝わる夏野菜
- 早川町ジビエ(シカ肉)町が特産品として紹介する
- 山葡萄ワイン町が特産品として紹介する
見どころ・祭り
- 赤沢宿国の重要伝統的建造物群保存地区
- 西山温泉・慶雲館世界最古の旅館としてギネスに認定
- 湯島の大スギ県指定の天然記念物
- 早川山菜まつり春の山菜を味わう町最大の祭り
木カツラ花ミツバツツジ鳥ヤマセミ早川町の木・花・鳥
早川町のなりたち
早川町(はやかわちょう)は、山梨県峡南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。西山村・三里村・都川村・五箇村・硯島村・本建村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の早川町になりました。
今の名前「早川町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の西山村が約120km²だったのに対し、今の早川町は約367km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南巨摩郡に属していました。
「早川町」という名前
町名は、町のほぼ中央を流れる早川からとられました。早川の名は、鎌倉時代に身延山に草庵を結んだ日蓮の書簡に「早河」の地名として見え、古くから使われていたことがわかります。1956年(昭和31年)に6つの村が合併したとき、谷を貫くこの川の名が町の名になりました。川の名の語源そのものは、はっきりしていません。
まちの成り立ち
早川の谷は南アルプスと身延山地に囲まれ、平らな土地がほとんどありません。戦国時代には河内領主の穴山氏が治め、黒桂山や保山で金山が開かれました。江戸時代、この谷は「早川入り」と呼ばれ、多くの小さな村が点在していました。
1889年(明治22年)7月1日の町村制で、南巨摩郡に五箇村・都川村・三里村・本建村・硯島村・奈良田村が発足しました。奈良田村は翌1890年(明治23年)に西山村と名を改めます。昭和の大合併では、1956年(昭和31年)9月30日にこの6村が合併して早川町が発足しました。
山あいの暮らしは、焼畑による食料づくりと、林業や木工、鉱山の仕事、養蚕などを組み合わせて成り立っていました。戦後は林業や建設業、養豚が伸びましたが、林業と養豚は今では主な産業ではなくなっています。町の山林は面積の大部分を占め、急な斜面に40ほどの集落が散らばっています。町の外へ通じる道は、早川沿いの県道が中心です。西山温泉は開湯1300年の歴史をもつとされます。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、南巨摩郡に五箇村・都川村・三里村・本建村・硯島村・奈良田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年4月1日明治23年奈良田村が改称し、西山村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年五箇村・都川村・三里村・硯島村・本建村・西山村が合併し、早川町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。