今の丹波山村
山梨県の北東端、北都留郡にある村です。関東山地の南東部にあたり、多摩川の上流にあたる丹波川が深い谷をつくっています。標高2,000m級の山々が埼玉県や東京都との境をなし、村域の大半は森林です。村内の森林の多くは東京都の水源林として管理されています。県内でありながら、公共交通は東京都の奥多摩方面へのバスが中心で、暮らしの面で東京都とのつながりが強い村です。
今の丹波山村の区域の人口は、2020年の国勢調査で530人です。今の区域で数えた1980年の1,197人とくらべると55.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.5%です。
主な産業:観光(登山・温泉)と、舞茸やコンニャクなどの山の産物づくり
特産品・名産
- 原木舞茸収穫の時期が短い村の特産
- 丹波ワサビ明治以降に栽培が広がった産物
- こんにゃく明治以降に栽培が広がった作物
見どころ・祭り
- 青岩鍾乳洞雲取山にある県指定の天然記念物
- のめこい湯道の駅たばやまにある村営の日帰り温泉
- 丹波山のささら獅子7月に行われる県指定の無形民俗文化財
- 大菩薩嶺村の西の境にある標高2,057mの山
木ブナ花ミツバツツジ鳥コマドリ丹波山村の木・花・鳥
丹波山村のなりたち
丹波山村(たばやまむら)は、山梨県富士・東部地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに丹波山村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は北都留郡に属していました。
「丹波山村」という名前
村名の由来ははっきりしていません。村の中心を流れる川は丹波川と呼ばれ、同じ「丹波」の字が村名にも使われています。多摩川の上流にあたるこの川の谷に、江戸時代には丹波宿が置かれていました。古い記録では、この地域は小菅村と同じ行政の単位でしたが、文禄の検地で分けられたとされます。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)7月1日、町村制の施行により、北都留郡に丹波山村が発足しました。江戸時代には谷村藩の領地を経て幕府の直轄地となり、大菩薩峠を越える青梅往還の道筋に丹波宿が置かれました。戦国時代から江戸時代の初めにかけては、丹波川上流の黒川金山で金の採掘も行われました。住民の暮らしは焼畑と山の仕事が中心でした。
明治に入ると養蚕のほか、コンニャクやワサビの栽培、炭焼き、宿屋などに仕事が広がりました。1881年(明治14年)に山林が国に収められ、1889年に一部の山野を買い戻して入会の権利を取り戻しました。しかし多摩川上流の森が荒れたため、1901年(明治34年)に御料林は水源を守る目的で東京府に移され、のちに東京市が管理を引き継ぎました。この森は今も東京都の水源林になっています。
平成の大合併のころには、位置や規模の面から合併の話が具体的になりませんでした。2002年(平成14年)の住民アンケートでは、東京都の青梅市や奥多摩町との合併を望む声が多くありましたが、奥多摩町は村からの申し入れを二度断りました。2005年ごろには甲州市との合併構想も出ましたが、実現していません。村の区域は1889年の発足から変わっていません。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、北都留郡に丹波山村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年8月1日明治24年北都留郡で郡制が施行され、丹波山村は引き続き同郡に属した。種類:その他 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。