今の大月市
山梨県の東部、郡内地方にあるまちです。桂川(相模川)が市の南部を東へ流れ、その流域に笹子川や葛野川が加わります。急な山と深い谷のあいだの細長い平地に市街地が広がります。中央線と富士急行線の分岐点にあたり、中央自動車道や甲州街道も通る交通の要衝です。猿橋や岩殿山などの名所があり、東京方面への通勤者が多い住宅地の性格もあります。
今の大月市の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,512人です。今の区域で数えた1980年の35,404人とくらべると36.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.9%です。
主な産業:東京方面への通勤者が多い住宅地。かつては織物業が基幹産業だった
特産品・名産
- 笹子餅笹子峠の「峠の力餅」に由来する餅菓子
見どころ・祭り
- 猿橋日本三奇橋の一つ。付近の桂川と名勝に指定
- 岩殿山城跡小山田氏が築いた城の跡。県指定史跡
- 笹子隧道国の登録有形文化財
- 秀麗富嶽十二景市内の富士山を望む12の山頂
木八重桜花山ゆり大月市の木・花
大月市のなりたち
大月市(おおつきし)は、山梨県富士・東部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。七保村・賑岡村・笹子村・初狩村・大原村・梁川村・富浜村・広里村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の大月市になりました。
今の名前「大月市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の広里村が約39km²だったのに対し、今の大月市は約279km²と、およそ7.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北都留郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧笹子村の区域には笹子駅(中央本線)があります。旧初狩村の区域には初狩駅(中央本線)があります。旧梁川村の区域には梁川駅(中央本線)があります。
「大月市」という名前
市の名は、合併の中心だった旧大月町の名からとられました。大月町は中央線と富士急行線の分かれる地点にあり、その名が京浜方面にも広く知られていたためです。地名については、江戸時代に整えられた水路「五ヶ堰」の近くにケヤキの別名である大槻が群がっていたため「大槻」と呼ばれ、のちに駒橋から見た月がひときわ大きく見えたことから「大月」になったと言い伝えられています。
まちの成り立ち
江戸時代、大月には甲州街道の宿場が整えられ、街道の45の宿場のうち12が今の市内にありました。桂川にかかる猿橋は、日本三奇橋の一つに数えられます。人々は林業や養蚕などで暮らしを立て、郡内織と呼ばれる織物も作られました。
1889年(明治22年)7月1日の町村制で、北都留郡に笹子・初狩・広里・賑岡・七保・大原・富浜・梁川の8村が発足しました。1933年(昭和8年)に広里村が町制を施行して大月町に、1935年(昭和10年)に大原村が町制を施行して猿橋町に、1954年(昭和29年)4月1日に七保村が町制を施行して七保町になりました。
昭和の大合併では、1954年8月8日に大月町・猿橋町・七保町・笹子村・賑岡村・初狩村・梁川村の3町4村が合併し、大月市が発足しました。同じ年の9月8日には富浜村を編入しています。平成の大合併では、都留市や上野原市(当時の上野原町)に合併を持ちかけましたが、実現しませんでした。織物は戦後の一時期まで市の基幹産業でしたが、今は衰えています。鉄道や道路が整うにつれて東京圏とのつながりが強まり、東京都の多摩地域に通勤する人が多くなっています。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、北都留郡に笹子村・初狩村・広里村・賑岡村・七保村・大原村・富浜村・梁川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1933年4月1日昭和8年広里村が町制を施行するとともに改称し、大月町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1935年4月1日昭和10年大原村が町制を施行するとともに改称し、猿橋町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年4月1日昭和29年七保村が町制を施行し、七保町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年8月8日昭和29年大月町・猿橋町・七保町・笹子村・賑岡村・初狩村・梁川村が合併し、大月市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年9月8日昭和29年富浜村が大月市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。