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紀の川市きのかわし

1920年には19の町村だった区域が、7回の合併・編入を経て、今の紀の川市になりました。

19町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の紀の川市

和歌山県北部にあり、北は和泉山脈、南は紀伊山地を控える市です。中央を紀の川が東西に流れ、南から貴志川が合流します。川沿いの平地や丘陵では、温暖な気候と肥沃な土を生かした果樹栽培が盛んです。あら川の桃、はっさく、いちじくなど、季節ごとに多様な果物が収穫されます。粉河寺や紀伊国分寺跡などの文化財が残り、農業の風景と古くからの歴史が、市内各地に受け継がれています。

今の紀の川市の区域の人口は、2020年の国勢調査で58,816人です。今の区域で数えた1980年の62,218人とくらべると5.5%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.3%です。

58,816人人口(2020年)
−5.5%1980年からの増減
228.21km²面積(国土地理院)
258人/km²人口密度
33.3%65歳以上の割合
70,0671980199020052020
15歳未満 11.2%15〜64歳 55.5%65歳以上 33.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:桃やはっさく、いちじくなどの果樹栽培を中心とする農業が盛んです。

特産品・名産

  • あら川の桃温暖な気候を生かした果樹栽培の産物
  • はっさく市内で栽培される代表的なかんきつ
  • いちじく季節の果物として生産される特産品

見どころ・祭り

  • 粉河寺西国三十三所第三番の札所
  • 紀伊国分寺跡紀伊国の国分寺の歴史を伝える史跡
  • 鞆渕八幡神社鞆渕地区に受け継がれる神社

木きんもくせい花もも鳥うぐいす紀の川市の木・花・鳥

紀の川市のなりたち

紀の川市(きのかわし)は、和歌山県紀北地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、19の町村がありました。丸栖村・中貴志村・西貴志村・東貴志村・川原村・長田村・龍門村・王子村・上名手村・名手町・麻生津村・池田村・田中村・安楽川村・調月村・奥安楽川村・鞆淵村・細野村・粉河町です。これらの町村が、7回の合併や編入を経て、今の紀の川市になりました。

今の名前「紀の川市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの19の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の池田村が約32km²だったのに対し、今の紀の川市は約224km²と、およそ6.9倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は海草郡・那賀郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、那賀郡は2006年(平成18年)4月1日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧名手町の区域には名手駅(和歌山線)があります。旧粉河町の区域には粉河駅(和歌山線)があります。

191920年の町村の数
7回合併・編入の回数
228km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「紀の川市」という名前

市名は、市の中央を東西に流れる紀の川に由来します。紀の川と、南から合流する貴志川は、地域の農業や暮らしを支えてきました。2005年(平成17年)11月7日、打田町・粉河町・那賀町・桃山町・貴志川町が合併し、公募によって決めた紀の川市の名を掲げて出発しました。昭和の合併で生まれた五つの町が、川の名前を共通の市名として結ばれています。

まちの成り立ち

紀の川市は、紀の川と貴志川の流域に広がるまちです。北に和泉山脈、南に紀伊山地を控え、温暖な気候と肥沃な土を生かして、桃やはっさくなど多様な果物が栽培されています。粉河寺や紀伊国分寺跡など、古くからの歴史を伝える場所も残ります。

1889年(明治22年)の町村制により、今の市域には池田村・田中村・粉河村などの村々が発足しました。1894年(明治27年)に粉河村が粉河町となり、1914年(大正3年)に名手村が名手町、1953年(昭和28年)に安楽川村が安楽川町となりました。

昭和の大合併では、1955年(昭和30年)に貴志川町、新しい粉河町、那賀町が誕生しました。王子村は区域を分け、東野・井田が粉河町へ、残りが那賀町へ加わりました。1956年(昭和31年)には池田村と田中村から打田町が、安楽川町・調月村・奥安楽川村から桃山町が生まれました。同年、鞆淵村は粉河町へ編入されました。

細野村は1951年(昭和26年)に那賀郡から海草郡へ移りました。その後、1957年(昭和32年)に区域を分け、垣内・細野中畑・峯・根来窪は桃山町へ、円明寺・勝谷・四郷は美里町へ編入されました。2005年(平成17年)11月7日、那賀郡の打田町・粉河町・那賀町・桃山町・貴志川町が新設合併し、紀の川市が発足しました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、那賀郡に池田村・長田村・粉河村・名手村・王子村・狩宿村・川原村・上名手村・麻生津村・竜門村・安楽川村・奥安楽川村・調月村・東貴志村・中貴志村・西貴志村・丸栖村・田中村・細野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、那賀郡の中番村・下番村と伊都郡上番村の区域に那賀郡鞆淵村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1894年5月10日明治27年那賀郡粉河村が町制を施行し、粉河町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1914年4月10日大正3年那賀郡名手村が町制を施行し、名手町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1951年10月1日昭和26年那賀郡細野村の所属郡が海草郡に変更された。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  6. 1953年1月1日昭和28年那賀郡安楽川村が町制を施行し、安楽川町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  7. 1955年3月31日昭和30年那賀郡の中貴志村・東貴志村・西貴志村・丸栖村が合併し、貴志川町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  8. 1955年4月1日昭和30年那賀郡の粉河町・長田村・竜門村・川原村が合併し、改めて粉河町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1955年7月1日昭和30年那賀郡王子村の一部(東野・井田)が同郡粉河町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  10. 1955年7月1日昭和30年那賀郡の名手町・上名手村・狩宿村・麻生津村と王子村の残部(名手西野・後田・池田垣内・西ノ芝)が合併し、那賀町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  11. 1956年3月31日昭和31年那賀郡の池田村・田中村が合併し、打田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  12. 1956年8月1日昭和31年那賀郡の安楽川町・調月村・奥安楽川村が合併し、桃山町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  13. 1956年9月30日昭和31年那賀郡鞆淵村が同郡粉河町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  14. 1957年8月1日昭和32年海草郡細野村が分割され、垣内・細野中畑・峯・根来窪が那賀郡桃山町に、円明寺・勝谷・四郷が海草郡美里町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
  15. 2005年11月7日平成17年那賀郡の打田町・粉河町・那賀町・桃山町・貴志川町が合併し、紀の川市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.wakayama.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

紀の川市2005〜今
粉河町1894〜2005同じ名前の駅:粉河駅
鞆淵村1889〜1956
王子村1889〜1955
川原村1889〜1955
長田村1889〜1955
龍門村1889〜1955
那賀町1955〜2005
上名手村1889〜1955
名手町1914〜1955同じ名前の駅:名手駅
麻生津村1889〜1955
貴志川町1955〜2005
丸栖村1889〜1955
中貴志村1889〜1955
西貴志村1889〜1955
東貴志村1889〜1955
打田町1956〜2005同じ名前の駅:打田駅
池田村1889〜1956
田中村1889〜1956
桃山町1956〜2005
細野村1889〜1957
安楽川村→安楽川町1889〜1956
調月村1889〜1956
奥安楽川村1889〜1956

参考にした資料