今の岩出市
和歌山県北部、紀の川の北岸を中心に広がる市です。南部には市街地や田園地帯があり、北部には和泉山脈の緑豊かな山並みが続きます。和歌山市と大阪の泉南地域に近く、交通条件を生かして住宅地が発展してきました。根来寺を中心とする歴史や文化が残り、根来塗も地域の伝統です。温暖な気候を生かしてカーネーションなどの花が栽培され、ねごろ大唐のような農産物も作られています。
今の岩出市の区域の人口は、2020年の国勢調査で53,967人です。今の区域で数えた1980年の24,125人とくらべると123.7%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は24.2%です。
主な産業:住宅地や商業地が広がり、カーネーションなどの花きと野菜の栽培も盛んです。
特産品・名産
- カーネーション関西市場などへ出荷される切り花
- ねごろ大唐シシトウより一回り大きい野菜
- 根来塗朱と漆の色合いが特徴の伝統の塗り物
見どころ・祭り
- 根来寺国宝の大塔などが残る寺院
- 旧和歌山県議会議事堂根来地区にある旧県議会の建物
- 道の駅 根来さくらの里地元の野菜や果物などを販売
木うばめがし(ばべ)花さくら鳥うぐいす岩出市の木・花・鳥
岩出市のなりたち
岩出市(いわでし)は、和歌山県紀北地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。根来村・山崎村・上岩出村・岩出町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の岩出市になりました。
今の名前「岩出市」は、1920年にあった岩出町の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の岩出町が約4km²だったのに対し、今の岩出市は約38km²と、およそ8.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は那賀郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、那賀郡は2006年(平成18年)4月1日に廃止されました。
「岩出市」という名前
岩出は、かつて「石手」と書かれた地名です。紀の川の南北両岸に岩が突き出していたことから、「巌出」を意味する名が生まれたといわれています。1726年(享保11年)、藩の命令で岩出の文字が使われるようになりました。明治の岩出村から岩出町へ名が受け継がれ、1956年(昭和31年)の合併後も町名が続き、2006年(平成18年)の市制施行で岩出市となりました。
まちの成り立ち
岩出市は、紀の川沿いの平野と和泉山脈の山すそに広がるまちです。中世には根来寺が大きな勢力を持ち、寺を中心とする歴史と文化が育まれました。根来塗は、山内の僧侶が食器や仏具の塗り物を作ったことに始まるとされ、地域の伝統として受け継がれています。
1889年(明治22年)の町村制では、那賀郡に岩出村・山崎村・根来村・上岩出村が発足しました。のちに区域の一部が加わる小倉村も同じ郡に置かれました。1908年(明治41年)8月1日、岩出村が町制を施行し、岩出町となりました。
1956年(昭和31年)9月30日、岩出町・山崎村・根来村・上岩出村と、小倉村の一部である船戸・山崎が合併し、新しい岩出町が発足しました。旧町村の地域がまとまった後、既存の集落の周囲に宅地が開かれ、ニュータウンの開発も進みました。和歌山市や大阪方面への交通条件も、住宅地としての発展を支えてきました。
2006年(平成18年)4月1日、岩出町が市制を施行し、岩出市となりました。昭和の新設合併で生まれた町を引き継ぐ市として、紀の川沿いの市街地や田園地帯、根来寺周辺の歴史と緑が結ばれています。北の山々に源を発する川の多くは、南端を流れる紀の川へ注いでいます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、那賀郡に岩出村・山崎村・根来村・上岩出村・小倉村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1908年8月1日明治41年那賀郡岩出村が町制を施行し、岩出町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年那賀郡の岩出町・山崎村・根来村・上岩出村と小倉村の一部(船戸・山崎)が合併し、改めて岩出町が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.iwade.lg.jp
- 2006年4月1日平成18年那賀郡岩出町が市制を施行し、岩出市となった。種類:市制施行 出典:www.city.iwade.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。