今のすさみ町
紀伊半島の南南西部にあり、紀伊山地を背に太平洋に面する町です。町の大部分を森林が占め、海岸には海岸段丘が連なります。黒潮に近い温暖な気候を生かして、レタスや花が栽培され、港ではカツオなどが水揚げされます。江須崎島や稲積島には自然林が残り、海岸をたどる熊野古道大辺路も通っています。山の集落と海辺の町を結び、農林漁業と観光が営まれています。
今のすさみ町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,685人です。今の区域で数えた1980年の7,299人とくらべると49.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は49.0%です。
主な産業:農林漁業と観光が主要産業で、レタス栽培やケンケン釣りのカツオ漁が行われています。
特産品・名産
- ケンケン鰹引き縄のケンケン釣りで水揚げする鰹
- すさみレタス温暖な気候を生かして育てる野菜
- イノブタ町の特産品として生産される食肉
見どころ・祭り
- 江須崎島国の天然記念物の自然林が残る島
- 稲積島海岸近くに自然林が残る島
- 熊野古道大辺路海と山をたどる熊野参詣の道
木シイ(スダジイ)花ハマユウ鳥メジロすさみ町の木・花・鳥
すさみ町のなりたち
すさみ町(すさみちょう)は、和歌山県紀南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。周参見村・大都河村・佐本村・江住村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今のすさみ町になりました。
今の名前「すさみ町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の大都河村が約56km²だったのに対し、今のすさみ町は約169km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西牟婁郡に属していました。
「すさみ町」という名前
「すさみ」は、古くからの地名「周参見」をひらがなで表した町名です。沿岸は黒潮の流れが速く、南から西の風が強く吹くため、動力船ができる前は航海の難所でした。この「荒ぶ海」が時を経て「周参見」に転じたといわれています。1955年(昭和30年)の合併で、新しい町の名前をひらがなの「すさみ」としました。
まちの成り立ち
周参見には、1657年(明暦3年)に口熊野奉行所が置かれました。東は太田川、西は瀬戸鉛山までの広い地域を管轄し、紀南の地方政治の中心地となりました。1799年(寛政11年)には代官所へ改められました。
1889年(明治22年)の町村制施行により、西牟婁郡に周参見村・大都河村・佐本村・江住村が誕生しました。1924年(大正13年)には周参見村が町制を施行して周参見町となりました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)3月に三舞村の太間川が周参見町へ編入されました。同時に周参見町・佐本村・大都河村が合併し、すさみ町が生まれました。
1956年(昭和31年)4月には、すさみ町の大鎌が江住村へ移りました。その江住村は1959年(昭和34年)3月にすさみ町へ編入され、現在につながる町域となりました。沿岸の港や集落と、山間の佐本などの地域が一つの町にまとまりました。
海では明治時代からケンケン釣りの船が活動し、カツオなどを水揚げしてきました。温暖な気候を生かしたレタス栽培は戦前から続いています。紀伊山地を背にした海岸には江須崎島や稲積島の自然林が残り、熊野古道大辺路が通っています。山と海の自然が、農林漁業や観光を支えています。
年表
- 1889年町村制の施行により、西牟婁郡に周参見村・大都河村・佐本村・江住村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.susami.lg.jp
- 1924年西牟婁郡周参見村が町制を施行し、周参見町となった。種類:町制施行 出典:www.town.susami.lg.jp
- 1955年3月昭和30年西牟婁郡三舞村の一部(太間川)が同郡周参見町に編入された。種類:一部編入 出典:www.town.susami.lg.jp
- 1955年3月昭和30年西牟婁郡の周参見町・佐本村・大都河村が合併し、すさみ町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.susami.lg.jp
- 1956年4月昭和31年西牟婁郡すさみ町の一部(大鎌)が同郡江住村に編入された。種類:一部編入 出典:www.town.susami.lg.jp
- 1959年3月昭和34年西牟婁郡江住村が同郡すさみ町に編入された。種類:編入 出典:www.town.susami.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。