和歌山県 › 橋本市

橋本市はしもとし

1920年には10の町村だった区域が、5回の合併・編入を経て、今の橋本市になりました。

10町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の橋本市

和歌山県の北東端にあり、大阪府と奈良県に接する市です。中央を紀の川が東西に流れ、北側には河岸段丘の丘陵、南側には紀伊山地へ続く山々が広がります。南海高野線とJR和歌山線が橋本駅で交わり、大阪、和歌山、奈良方面を結んでいます。柿などの果樹栽培に加え、高野口のパイル織物や紀州へら竿の産地として知られます。黒河道などの高野参詣道や、地域の寺社には歴史が残ります。

今の橋本市の区域の人口は、2020年の国勢調査で60,818人です。今の区域で数えた1980年の52,616人とくらべると15.6%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は33.3%です。

60,818人人口(2020年)
+15.6%1980年からの増減
130.55km²面積(国土地理院)
466人/km²人口密度
33.3%65歳以上の割合
70,4691980199020052020
15歳未満 11.5%15〜64歳 55.2%65歳以上 33.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:柿などの果樹栽培、パイル織物や紀州へら竿の製造が地域を支えています。

特産品・名産

  • 柿平核無柿や富有柿などを栽培
  • パイル織物高野口地域で作る毛のある織物
  • 紀州へら竿ヘラブナ釣りに使う伝統の釣り竿

見どころ・祭り

  • 黒河道世界遺産に登録された高野参詣道
  • 子安地蔵寺藤の花と安産祈願で知られる寺院
  • 隅田八幡神社国宝の鏡を神宝とする神社

木もくせい、さくら花さつき橋本市の木・花

橋本市のなりたち

橋本市(はしもとし)は、和歌山県紀北地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。端場村・恋野村・紀見村・隅田村・山田村・学文路村・信太村・応其村・高野口町・橋本町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の橋本市になりました。

今の名前「橋本市」は、1920年にあった橋本町の名前を受け継いでいます。ほかの9の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の橋本町が約8km²だったのに対し、今の橋本市は約128km²と、およそ16.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は伊都郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧隅田村の区域には隅田駅(和歌山線)があります。旧高野口町の区域には高野口駅(和歌山線)があります。

101920年の町村の数
5回合併・編入の回数
131km²今の面積
2006年いちばん新しい合併

「橋本市」という名前

橋本の名は、応其上人が紀の川に橋を架けたことに由来するとされています。川と橋は、まちの誕生や発展に深く関わってきました。明治時代の橋本村は町制を施行して橋本町となり、1955年(昭和30年)に周囲の五村と合併して橋本市が発足しました。2006年(平成18年)、橋本市と高野口町が合併した際にも、新しい市に橋本の名が受け継がれました。

まちの成り立ち

橋本市は、紀の川と高野山へ向かう道に支えられてきたまちです。近世には街道の交通と川の陸揚げ場を生かし、各地の産物が集まる場所となりました。農業の副業として養蚕や機織りも行われ、のちの繊維業の基盤となりました。

1889年(明治22年)の町村制で、伊都郡に橋本村・名倉村・端場村・山田村・紀見村・学文路村・信太村・応其村・岸上村・隅田村・恋野村が発足しました。1894年(明治27年)に橋本村が町となり、1910年(明治43年)には名倉村が町制と改称によって高野口町となりました。

1952年(昭和27年)には端場村が応其村に編入されました。1954年(昭和29年)8月1日、隅田村と恋野村が合併し、新しい隅田村が発足しました。1955年(昭和30年)1月1日、橋本町・岸上村・山田村・紀見村・隅田村・学文路村が合併し、橋本市が誕生しました。同年4月15日には高野口町・信太村・応其村が合併し、新しい高野口町となりました。

橋本市と高野口町は2004年(平成16年)2月2日に合併協議会を設けました。十一回の協議と両市町議会の議決などを経て、2006年(平成18年)3月1日に新しい橋本市が発足しました。紀の川の両岸の地域と、高野口の織物の産地が、一つの市に結ばれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、伊都郡に橋本村・名倉村・端場村・山田村・紀見村・学文路村・信太村・応其村・岸上村・隅田村・恋野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1894年5月明治27年伊都郡橋本村が町制を施行し、橋本町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1910年9月1日明治43年伊都郡名倉村が町制を施行するとともに改称し、高野口町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1952年1月1日昭和27年伊都郡端場村が同郡応其村に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  5. 1954年8月1日昭和29年伊都郡の隅田村・恋野村が合併し、改めて隅田村が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.hashimoto.lg.jp
  6. 1955年1月1日昭和30年伊都郡の橋本町・岸上村・山田村・紀見村・隅田村・学文路村が合併し、橋本市が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.hashimoto.lg.jp
  7. 1955年4月15日昭和30年伊都郡の高野口町・信太村・応其村が合併し、改めて高野口町が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.hashimoto.lg.jp
  8. 2006年3月1日平成18年橋本市と伊都郡高野口町が合併し、改めて橋本市が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.hashimoto.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

橋本町→橋本市1889〜今
高野口町1910〜2006同じ名前の駅:高野口駅
信太村1889〜1955
応其村1889〜1955
端場村1889〜1952
紀見村1889〜1955
隅田村1889〜1955同じ名前の駅:隅田駅
山田村1889〜1955
学文路村1889〜1955
恋野村1889〜1954

参考にした資料