今の石井町
徳島県の北東部、徳島市の西隣にある町です。北を吉野川が東西に流れ、町の中ほどを支流の飯尾川が蛇行して流れます。南側の市町境に山がある以外は、ほとんど平地です。農業が盛んで、ほうれん草やブロッコリーなどの野菜が作られています。徳島市へ通う人も多く、住宅地としても発展しています。春には藤の花で知られます。
今の石井町の区域の人口は、2020年の国勢調査で24,833人です。今の区域で数えた1980年の24,434人とくらべると1.6%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は33.2%です。
主な産業:ほうれん草・ブロッコリー・ねぎなどの野菜作りと、食品加工が中心です。
特産品・名産
- ほうれん草町で作られる農産物
- ブロッコリー町で作られる農産物
- ふぢ餅銘菓として挙げられる
見どころ・祭り
- 地福寺藤棚があり、4月下旬から藤まつりが開かれる
- 田中家住宅1976年に国の文化財に指定された民家
- 阿波国分尼寺跡町内の史跡
- 矢神のイチョウ町内の名所
木イチョウ花フジ鳥ウグイス石井町の木・花・鳥
石井町のなりたち
石井町(いしいちょう)は、徳島県東部の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。藍畑村・高原村・高川原村・浦庄村・石井町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の石井町になりました。
今の名前「石井町」は、1920年にあった石井町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の石井町が約7km²だったのに対し、今の石井町は約28km²と、およそ3.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は名西郡に属していました。
「石井町」という名前
「石井」の名の由来ははっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、石井村・城ノ内村・重松村・白鳥村・尼寺村・内谷村の区域が合わさって石井村が発足し、1907年(明治40年)に町制を施行して石井町となりました。1955年(昭和30年)に周りの4村と合わさったときも、石井の名が新しい町の名として引き継がれました。
まちの成り立ち
石井町は、吉野川の南岸に開けた町です。1889年(明治22年)10月1日の町村制で、名西郡に石井村、浦庄村、高原村、藍畑村、高川原村などが発足しました。石井村は石井村・城ノ内村・重松村・白鳥村・尼寺村・内谷村の区域、藍畑村は西覚円村・東覚円村・高畠村と第十村の大部分の区域から生まれた村です。石井村は1907年(明治40年)11月1日に町制を施行し、石井町となっています。1955年(昭和30年)3月31日、石井町と浦庄村・高原村・藍畑村・高川原村の1町4村が新設合併し、改めて石井町が発足しました。名西郡では、同じ日に神山町が生まれ、高志村は板野郡の町村と合わさって上板町になっています。石井町は、徳島市の西隣にあり、農業が盛んな一方で、徳島市のベッドタウンとしても発展してきました。町の北側を吉野川が流れ、中ほどには支流の飯尾川が蛇行しています。1982年(昭和57年)には町の花に藤、木にいちょう、鳥にうぐいすが定められました。毎年4月下旬から5月上旬にかけて、町の花である藤にちなむふじ祭りが開かれます。南側の市町境には気延山や茶臼山があります。町内には、1976年(昭和51年)に国の文化財に指定された田中家住宅も残っています。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、名西郡に石井村・浦庄村・高原村・藍畑村・高川原村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1907年11月1日明治40年名西郡石井村が町制を施行して石井町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年名西郡の石井町・浦庄村・高原村・藍畑村・高川原村が合併し、改めて石井町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。