今の藍住町
徳島県の北東部、吉野川の北岸に広がる平野の町です。南を吉野川、西から北を旧吉野川が流れ、標高は低く平らな土地です。阿波藍の産地としての歴史があり、藍染めが作られています。洋ニンジンの産地で、切り花の菊も栽培されています。勝瑞城跡という国の史跡があり、徳島市や鳴門市に通う人が多く暮らしています。
今の藍住町の区域の人口は、2020年の国勢調査で35,246人です。今の区域で数えた1980年の19,713人とくらべると78.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は25.8%です。
主な産業:ニンジンやレンコンなどの農業と、藍染め、味噌・日本酒の醸造、工場が中心です。
特産品・名産
- 洋ニンジン全国有数の産地とされる
- 藍染め町で作られる染め物
- 切り花用の菊町の花になっている栽培作物
見どころ・祭り
- 勝瑞城址国の史跡
- 藍住町歴史館・藍の館1996年開館
- 藍住町バラ園町内の公園
- 犬伏家住宅町内に残る古い民家
木クスノキ花キク藍住町の木・花
藍住町のなりたち
藍住町(あいずみちょう)は、徳島県東部の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。藍園村・住吉村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の藍住町になりました。
今の名前「藍住町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の藍園村が約9km²だったのに対し、今の藍住町は約16km²と、およそ1.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は板野郡に属していました。
「藍住町」という名前
「藍住」は、町が1955年(昭和30年)4月29日に藍園村と住吉村が合わさってできたときの名で、2つの村名から文字を取った合成地名です。町は、染料の阿波藍の一大産地としての歴史を持ち、名の「藍」はこの藍にも通じます。町民のちかいにも、「藍」と「愛」にはぐくまれてきた町とうたわれています。
まちの成り立ち
藍住町は、吉野川の北岸、徳島平野の下流域にある町です。町のすぐ南を吉野川が流れ、西から北にかけては旧吉野川が囲んでいます。1889年(明治22年)10月1日の町村制で、板野郡に藍園村と住吉村が発足しました。藍園村は奥野村・徳命村などの区域、住吉村は住吉村・矢上村・勝瑞村・笠木村・乙瀬村の区域です。1948年(昭和23年)には名東郡新居村・北井上村の一部(名田・小塚・祖母ヶ島)が藍園村に編入されました。2つの村は1955年(昭和30年)4月29日に新設合併し、藍住町が生まれました。町章は1957年(昭和32年)1月1日に、町花・町木は1973年(昭和48年)7月25日に定められています。その後は、ほかの町村との合併はありません。町には勝瑞城跡などの史跡があり、2019年(令和元年)には阿波藍に関わる日本遺産を構成する自治体の一つになりました。農業ではニンジンやレンコン、カリフラワーなどが作られ、味噌や日本酒をつくる醸造業もあります。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、板野郡に藍園村と住吉村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1948年4月1日昭和23年名東郡新居村の名田、北井上村の小塚・祖母ヶ島が板野郡藍園村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1955年4月29日昭和30年板野郡の藍園村と住吉村が合併して藍住町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。