今の海陽町
徳島県の南の端にあり、南東は太平洋に面する町です。北と西には1,000m級の山々が連なり、海部川と宍喰川が流れます。海岸は室戸阿南海岸国定公園に指定され、リアス式海岸が続きます。海部川の河口にはサーフスポットがあります。促成キュウリやブロッコリー、洋にんじんなどの農業と、漁業が行われています。
今の海陽町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,358人です。今の区域で数えた1980年の14,397人とくらべると41.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.6%です。
主な産業:促成キュウリ・ブロッコリー・洋にんじんなどの農業と、漁業が中心です。
特産品・名産
- 促成キュウリ海部郡の主要産地
- ブロッコリー海陽町が産地
- 洋にんじん3月中旬から4月中旬に収穫される
見どころ・祭り
- 大里松原海岸日本の白砂青松百選に特選。アカウミガメの産卵地
- 轟九十九滝日本の滝百選
- 大砂海水浴場快水浴場百選
- 鯖大師本坊四国別格二十霊場の第4番
木マツ花サツキ海陽町の木・花
海陽町のなりたち
海陽町(かいようちょう)は、徳島県南部の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。鞆奥村・川上村・浅川村・川東村・宍喰村・川西村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の海陽町になりました。
今の名前「海陽町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の川上村が約170km²だったのに対し、今の海陽町は約318km²と、およそ1.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は海部郡に属していました。
「海陽町」という名前
「海陽」の名の由来ははっきりしていません。町は2006年(平成18年)3月31日に、海部郡の海南町・海部町・宍喰町が新設合併して生まれました。海南町は1955年(昭和30年)に浅川村・川東村・川上村が、海部町は同じ年に鞆奥町と川西村が合わさってできた町です。町章は「K」の字をもとに、緑・青・赤で自然・海・太陽を表しています。
まちの成り立ち
海陽町は、徳島県の南の端にあり、太平洋に面しています。北部と西部は1,000m級の山々が連なり、海部川と宍喰川が太平洋へ流れます。古くは森林資源と海運の力で栄えた地域です。1889年(明治22年)10月1日の町村制で、海部郡に浅川村、川東村、川西村、鞆奥村、川上村、宍喰村が発足しました。鞆奥村は1923年(大正12年)に町制を施行して鞆奥町、宍喰村は1924年(大正13年)に宍喰町となりました。1955年(昭和30年)3月31日、浅川村・川東村・川上村が合わさって海南町が、鞆奥町と川西村が合わさって海部町が発足しました。2006年(平成18年)3月31日、海南町・海部町・宍喰町が新設合併し、海陽町が誕生しました。町には大里松原海岸など美しい海岸があり、アカウミガメの産卵地としても知られます。国の天然記念物も多く、宍喰浦の化石漣痕や母川オオウナギ生息地があります。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、海部郡に浅川村・川東村・川西村・鞆奥村・川上村・宍喰村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1923年1月1日大正12年海部郡鞆奥村が町制を施行して鞆奥町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1924年8月10日大正13年海部郡宍喰村が町制を施行して宍喰町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年海部郡の浅川村・川東村・川上村が合併して海南町が発足した。同じ日に鞆奥町と川西村が合併して海部町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 2006年3月31日平成18年海部郡の海南町・海部町・宍喰町が合併して海陽町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。