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藤枝市ふじえだし

1920年には11の町村だった区域が、6回の合併・編入を経て、今の藤枝市になりました。

11町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の藤枝市

静岡県中部の志太平野にあり、北部は山間地になっています。市内を大井川、瀬戸川、葉梨川などが流れます。江戸時代に田中城の城下町として栄え、東海道の宿場町でもありました。茶や梨などの農業のほか、食品加工や製薬の工場があります。大正時代にサッカーが学校で採り入れられて以来、サッカーを核としたまちづくりも進められています。

今の藤枝市の区域の人口は、2020年の国勢調査で141,342人です。今の区域で数えた1980年の114,822人とくらべると23.1%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.4%です。

141,342人人口(2020年)
+23.1%1980年からの増減
194.06km²面積(国土地理院)
728人/km²人口密度
30.4%65歳以上の割合
143,6051980199020052020
15歳未満 12.9%15〜64歳 56.7%65歳以上 30.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:茶・梨・シイタケなどの農業、食品加工・製薬などの工業

特産品・名産

  • 朝比奈玉露市の名物とされる玉露。緑茶の産地
  • 梨市の農産物として挙げられる
  • シイタケ市の農産物として挙げられる
  • 瀬戸の染飯伝承館もある市の名物

見どころ・祭り

  • 蓮華寺池公園市内の名所として挙げられる公園
  • 白藤の滝七滝とも呼ばれる滝
  • 宇嶺の滝うとうげの滝と読む市内の滝
  • 田中城跡田中藩の城跡。跡地に小学校が立つ
  • 志太郡衙跡1977年に発見された律令時代の役所跡

木マツ花フジ鳥ウグイス藤枝市の木・花・鳥

藤枝市のなりたち

藤枝市(ふじえだし)は、静岡県中部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、11の町村がありました。西益津村・葉梨村・稲葉村・青島村・高洲村・大洲村・瀬戸谷村・朝比奈村・広幡村・岡部町・藤枝町です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の藤枝市になりました。

今の名前「藤枝市」は、1920年にあった藤枝町の名前を受け継いでいます。ほかの10の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の藤枝町が約6km²だったのに対し、今の藤枝市は約191km²と、およそ30.4倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は志太郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、志太郡は2009年(平成21年)1月1日に廃止されました。

111920年の町村の数
6回合併・編入の回数
194km²今の面積
2009年いちばん新しい合併

「藤枝市」という名前

藤枝の名の由来には、二つの説があります。一つは、後三年の役で奥州へ向かう源義家が若一王子神社に立ち寄り、裏山の松に藤のつるが絡んで咲く花を見て和歌を詠んだことによる、という神社の言い伝えにもとづく説です。もう一つは、藤の枝のように細長い宿場町だったから、という説です。

まちの成り立ち

藤枝は、江戸時代に東海道の藤枝宿が置かれ、田中藩の城下町でもあったところです。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、志太郡に藤枝町・岡部町・葉梨村・稲葉村・瀬戸谷村・青島村・大洲村・高洲村・広幡村などが、益津郡に西益津村が発足しました。1896年(明治29年)に益津郡は志太郡にまとめられ、1922年(大正11年)1月1日には青島村が町制を施行して青島町となっています。

1954年(昭和29年)1月1日、藤枝町と西益津村が合併して改めて藤枝町が発足しました。同じ年の3月31日には、藤枝町・青島町・葉梨村・稲葉村・大洲村・高洲村が合併して藤枝市が生まれ、市制を施行しています。このとき藤枝町のうち大覚寺上・大覚寺下の地区は焼津市に入りました。

1955年(昭和30年)2月15日には瀬戸谷村を編入しました。1957年(昭和32年)4月1日には広幡村が分かれて大部分が藤枝市に、越後島の地区が焼津市に編入されています。

北の岡部町は、1955年3月31日に岡部町と朝比奈村が合併して改めて発足した町です。2009年(平成21年)1月1日にこの岡部町を編入し、志太郡はなくなりました。大正時代に旧制志太中学校がサッカーを校技としたことから、サッカーの盛んなまちとしても知られています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、志太郡に藤枝町・岡部町・朝夷村・葉梨村・稲葉村・瀬戸谷村・青島村・大洲村・高洲村・広幡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、益津郡に西益津村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1891年6月11日明治24年朝夷村が朝比奈村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
  4. 1896年4月1日明治29年郡制の施行に向けて益津郡が志太郡に統合され、西益津村は志太郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  5. 1922年1月1日大正11年青島村が町制を施行して青島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  6. 1954年1月1日昭和29年藤枝町と西益津村が合併し、改めて藤枝町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  7. 1954年3月31日昭和29年藤枝町(大覚寺上・大覚寺下を除く)・青島町・葉梨村・稲葉村・大洲村・高洲村が合併して藤枝市が発足し、市制を施行した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  8. 1954年3月31日昭和29年藤枝町の大覚寺上・大覚寺下が焼津市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  9. 1955年2月15日昭和30年瀬戸谷村が藤枝市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  10. 1955年3月31日昭和30年岡部町と朝比奈村が合併し、改めて岡部町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  11. 1957年4月1日昭和32年広幡村が分割され、越後島を除く大部分が藤枝市に編入された(越後島は焼津市に編入)。種類:編入 出典:Wikipedia
  12. 2009年1月1日平成21年岡部町が藤枝市に編入され、志太郡が消滅した。種類:編入 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

藤枝町→藤枝市1889〜今
岡部町1889〜2009
朝比奈村1891〜1955
広幡村1889〜1957
瀬戸谷村1889〜1955
葉梨村1889〜1954
稲葉村1889〜1954
青島村→青島町1889〜1954
高洲村1889〜1954
大洲村1889〜1954
西益津村1889〜1954

参考にした資料