今の武雄市
今の武雄市の区域の人口は、2020年の国勢調査で47,914人です。今の区域で数えた1980年の53,156人とくらべると9.9%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.7%です。
武雄市のなりたち
武雄市(たけおし)は、佐賀県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、11の町村がありました。住吉村・中通村・若木村・武内村・朝日村・橘村・東川登村・西川登村・橋下村・北方村・武雄町です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の武雄市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1944年(昭和19年)4月29日に北方村が町になり、北方町となりました(町制施行)。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1954年(昭和29年)4月1日に若木村・武内村・朝日村・橘村・東川登村・西川登村が、武雄町と一つになり、武雄市となりました。1954年(昭和29年)4月1日に住吉村・中通村が合わさって、山内町が生まれました。1954年(昭和29年)4月1日に武雄町が市になり、武雄市となりました(市制施行)。1956年(昭和31年)4月1日に橋下村が、北方町と一つになりました。1958年ごろに山内村が町になり、山内町となりました(町制施行)。この時期だけで5回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2006年(平成18年)3月1日に北方町・山内町が合わさって、武雄市が生まれました。
今の名前「武雄市」は、1920年にあった武雄町の名前を受け継いでいます。ほかの10の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の武雄町が約19km²だったのに対し、今の武雄市は約189km²と、およそ10.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は杵島郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧北方村の区域には北方駅(佐世保線)があります。
年表
- 1944年4月29日昭和19年北方村が町になり、北方町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年4月1日昭和29年若木村・武内村・朝日村・橘村・東川登村・西川登村が、武雄町と一つになり、武雄市となった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年4月1日昭和29年住吉村・中通村が合わさって、山内町が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年4月1日昭和29年武雄町が市になり、武雄市となった(市制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1956年4月1日昭和31年橋下村が、北方町と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1958年ごろ1955〜1960年のあいだ山内村が町になり、山内町となった(町制施行)
- 2006年3月1日平成18年北方町・山内町が合わさって、武雄市が生まれたe-Stat「武雄市(41206)、山内町(41421)、北方町(41422)が合併し、武雄市を新設」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。