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伊万里市いまりし

1920年には11の町村だった区域が、4回の合併・編入を経て、今の伊万里市になりました。

11町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の伊万里市

今の伊万里市の区域の人口は、2020年の国勢調査で52,629人です。今の区域で数えた1980年の61,243人とくらべると14.1%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.3%です。

52,629人人口(2020年)
−14.1%1980年からの増減
255.24km²面積(国土地理院)
206人/km²人口密度
32.3%65歳以上の割合
62,0441980199020052020
15歳未満 13.9%15〜64歳 53.7%65歳以上 32.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

伊万里市のなりたち

伊万里市(いまりし)は、佐賀県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、11の町村がありました。牧島村・大坪村・大川内村・波多津村・南波多村・黒川村・大川村・東山代村・松浦村・二里村・西山代村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の伊万里市になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1928年(昭和3年)12月10日に牧島村が合わさって、伊万里市が生まれました。1936年(昭和11年)4月1日に西山代村が町になり、山代町となりました(町制施行)。1943年(昭和18年)12月8日に大坪村・大川内村が、伊万里市と一つになりました。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1953年ごろに山代町が、伊万里市と一つになりました。1953年ごろに伊万里町が市になり、伊万里市となりました(市制施行)。1954年(昭和29年)4月1日に波多津村・南波多村・黒川村・大川村・東山代村・松浦村・二里村が、伊万里市と一つになりました。この時期だけで3回の変化があり、町村の数は大きく減りました。

今の名前「伊万里市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの11の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の波多津村が約29km²だったのに対し、今の伊万里市は約247km²と、およそ8.6倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は西松浦郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧大川村の区域には大川野駅(筑肥線)があります。旧東山代村の区域には東山代駅(松浦鉄道 西九州線)があります。

111920年の町村の数
4回合併・編入の回数
255km²今の面積
1954年いちばん新しい合併

年表

  1. 1928年12月10日昭和3年牧島村が合わさって、伊万里市が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1936年4月1日昭和11年西山代村が町になり、山代町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  3. 1943年12月8日昭和18年大坪村・大川内村が、伊万里市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  4. 1953年ごろ1950〜1955年のあいだ山代町が、伊万里市と一つになった
  5. 1953年ごろ1950〜1955年のあいだ伊万里町が市になり、伊万里市となった(市制施行)
  6. 1954年4月1日昭和29年波多津村・南波多村・黒川村・大川村・東山代村・松浦村・二里村が、伊万里市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

伊万里町→伊万里市1928〜今
西山代村→山代町1889〜1955
波多津村1901〜1954
南波多村1889〜1954
黒川村1889〜1954
大川村1889〜1954
東山代村1889〜1954同じ名前の駅:東山代駅
松浦村1889〜1954
二里村1889〜1954
大坪村1889〜1943
大川内村1889〜1943
牧島村1889〜1928