今の八尾市
大阪府の東部、生駒山地の西麓から大阪平野にかけて広がるまちです。山麓には心合寺山古墳や高安千塚古墳群があり、平野部には久宝寺や八尾の寺内町が残ります。多様な中小工場が集まる一方、葉ごぼうや枝豆、花の栽培も行われています。近鉄大阪線や関西本線、地下鉄谷町線などが大阪方面と結びます。河内音頭の文化が受け継がれ、盆踊りや祭りは地域の人々が集まる機会となっています。
今の八尾市の区域の人口は、2020年の国勢調査で264,642人です。今の区域で数えた1980年の272,706人とくらべると3.0%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は28.8%です。
主な産業:金属製品や電気・一般機械、ブラシなどの製造業と、野菜・花の栽培が盛んです。
特産品・名産
- 葉ごぼう茎や葉、根を食べる春の野菜
- えだまめ市内で栽培される夏の農産物
- 河内木綿地域で受け継がれてきた綿織物
見どころ・祭り
- 心合寺山古墳中河内を代表する前方後円墳
- 高安千塚古墳群山麓に多くの古墳が集まる
- 久宝寺寺内町寺院を中心に古い町並みが残る
- 八尾河内音頭まつり河内音頭を踊る地域の祭り
木いちょう花きく八尾市の木・花
八尾市のなりたち
八尾市(やおし)は、大阪府中河内地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、11の町村がありました。北高安村・中高安村・西郡村・八尾町・久宝寺村・龍華町・大正村・三野郷村・南高安村・曙川村・志紀村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の八尾市になりました。
今の名前「八尾市」は、1920年にあった八尾市の名前を受け継いでいます。ほかの10の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の八尾町が約8km²だったのに対し、今の八尾市は約41km²と、およそ5.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は中河内郡・南河内郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧久宝寺村の区域には久宝寺駅(関西本線)があります。旧志紀村の区域には志紀駅(関西本線)があります。
「八尾市」という名前
八尾の地名には、いくつかのいわれがあります。尾羽が8枚ある美しい声のウグイスにちなむという伝承や、弓矢づくりに関わる人々の「矢負い」という言葉が転じたとする説があります。また、旧大和川の堤に多数の杭を打ったことから、「たくさん」を表す八百が転じたという説も伝わります。八尾村・八尾町の名は、1948年に発足した八尾市に受け継がれました。
まちの成り立ち
1889年4月1日の町村制で、今の市域には若江郡八尾村・西郡村・曙川村、渋川郡龍華村・久宝寺村、高安郡北高安村・中高安村・南高安村、志紀郡三木本村・太田村・志紀村などが発足しました。1896年の郡の再編で、多くの村は中河内郡に属しました。八尾村は1903年8月に町となります。1913年には三木本村が太田村を編入し、その後、大正村へ改称しました。
1927年には龍華村が町となり、1931年には北高安村と中高安村が合併して高安村が生まれます。1948年4月1日、八尾町・龍華町・久宝寺村・大正村・西郡村の2町3村が新設合併し、八尾市が発足しました。1955年2月に河内市の福万寺・上之島地区、同年4月に南高安町・高安村・曙川村を編入しました。1957年4月には志紀町も加わり、1964年4月1日には松原市の北若林地区が移りました。
久宝寺や八尾では寺院を中心に町が築かれました。1704年の大和川付替え後、旧河道には新田が開かれ、河内木綿の生産が広がりました。近代以降は多様な工場と住宅地が集まる都市へ発展しています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、若江郡に八尾村・西郡村・曙川村が、渋川郡に龍華村・久宝寺村が、高安郡に北高安村・中高安村・南高安村が、志紀郡に三木本村・太田村・志紀村が、河内郡に三野郷村が、丹北郡に恵我村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.yao.osaka.jp
- 1896年4月1日明治29年八尾村・西郡村・曙川村・龍華村・久宝寺村・北高安村・中高安村・南高安村・三木本村・三野郷村・恵我村は中河内郡に、太田村・志紀村は南河内郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1903年8月明治36年中河内郡八尾村が町制を施行し、八尾町となった。種類:町制施行 出典:www.city.yao.osaka.jp
- 1913年5月1日大正2年南河内郡太田村が中河内郡三木本村に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1913年7月1日大正2年中河内郡三木本村が改称し、大正村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1927年6月1日昭和2年中河内郡龍華村が町制を施行し、龍華町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1931年4月1日昭和6年中河内郡北高安村・中高安村が合併し、高安村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1948年4月1日昭和23年中河内郡八尾町・龍華町・久宝寺村・大正村・西郡村が合併し、八尾市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1953年4月1日昭和28年中河内郡南高安村が町制を施行し、南高安町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年1月15日昭和30年中河内郡盾津町・玉川町・英田村・三野郷村・若江村が合併し、河内市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.osaka.lg.jp
- 1955年2月1日昭和30年河内市の一部(福万寺・上之島)が八尾市に編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
- 1955年4月3日昭和30年中河内郡南高安町・高安村・曙川村が八尾市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.osaka.lg.jp
- 1956年1月1日昭和31年南河内郡志紀村が町制を施行し、志紀町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1957年4月1日昭和32年南河内郡志紀町が八尾市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.osaka.lg.jp
- 1964年4月1日昭和39年松原市の一部(北若林)が八尾市に編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.yao.osaka.jp/shisei/yaoshinoshoukai/1012611/1012656.html
- www.city.yao.osaka.jp/shisei/yaoshinoshoukai/1012611/1009255.html
- www.city.yao.osaka.jp/kurashi_tetsuzuki/gaikokujin/1003668/1003669.html
- www.city.yao.osaka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/011/374/hozonkatu
- www.masse.or.jp/material/files/group/3/R7sityousonhando.pdf
- www.pref.osaka.lg.jp/documents/27753/0-1_zentai.pdf
- ja.wikipedia.org/wiki/中河内郡
- ja.wikipedia.org/wiki/南河内郡