今の東大阪市
大阪市の東側、生駒山地の西麓から平野部に広がるまちです。山麓には枚岡神社や石切劒箭神社があり、平野には旧大和川の付替え後に開かれた新田の歴史が残ります。住宅地と中小工場が近接し、金属加工や機械、作業工具など幅広い製品がつくられています。近鉄奈良線・大阪線や地下鉄中央線などが大阪都心と結びます。花園ラグビー場では全国高校ラグビー大会が行われ、ラグビーのまちとしても知られています。
今の東大阪市の区域の人口は、2020年の国勢調査で493,940人です。今の区域で数えた1980年の521,558人とくらべると5.3%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は28.8%です。
主な産業:金属加工・機械・作業工具・ねじ・ブラシなど、多様な製造業の事業所が集まっています。
特産品・名産
- 作業工具ものづくりを支える地場製品
- ブラシ地域で生産される工業製品
- カレーパン地域ぐるみで親しまれるパン
見どころ・祭り
- 東大阪市花園ラグビー場全国高校ラグビー大会の会場
- 鴻池新田会所跡新田の管理施設を伝える史跡
- 枚岡公園生駒山麓に広がる府営公園
木クスノキ花ウメ、市民の花:キキョウ東大阪市の木・花
東大阪市のなりたち
東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府中河内地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、19の町村がありました。池島村・東六郷村・北江村・西六郷村・高井田村・楠根村・意岐部村・小阪村・長瀬村・弥刀村・孔舎衙村・大戸村・枚岡村・枚岡南村・英田村・玉川村・三野郷村・若江村・布施村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の東大阪市になりました。
今の名前「東大阪市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの19の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の枚岡南村が約8km²だったのに対し、今の東大阪市は約61km²と、およそ7.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は中河内郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧高井田村の区域には高井田中央駅(おおさか東線)があります。
「東大阪市」という名前
東大阪市の名は、布施市・河内市・枚岡市の合併に先立つ1966年8月に決まりました。「東大阪」という呼び名は合併前から地域で親しまれていました。新しい市が地域の中核として発展するのにふさわしい名称として選ばれ、1967年2月1日の発足とともに正式な市名となりました。三つの旧市の区域が一つになり、生駒山麓から大阪市に接する平野まで広がる市が生まれました。
まちの成り立ち
1889年4月1日の町村制で、今の市域には渋川郡の布施村・長瀬村、若江郡の小阪村・高井田村・楠根村・弥刀村・意岐部村・若江村・玉川村・北江村・西六郷村、河内郡の枚岡村・枚岡南村・池島村・日根市村・大戸村・英田村・三野郷村・東六郷村が発足しました。1896年に各村は中河内郡に属します。1912年には日根市村が孔舎衙村へ改称しました。
1925年には布施村と小阪村が町となりました。1929年に枚岡南村と池島村が合併して縄手村が生まれ、楠根村も町となります。1931年には西六郷村・北江村・東六郷村が盾津村となりました。1933年に布施町と高井田村が合併し、1937年4月1日には布施町・小阪町・楠根町・長瀬村・意岐部村・弥刀村が新設合併して布施市が発足しました。
東側では1955年1月11日に枚岡町・縄手町・石切町・孔舎衙村が合併して枚岡市となりました。同月15日には盾津町・玉川町・英田村・三野郷村・若江村が合併して河内市が生まれます。1967年2月1日、布施市・河内市・枚岡市が新設合併し、東大阪市が誕生しました。旧大和川の跡で栄えた綿作や綿織物から、多様なものづくりの産業が育っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、渋川郡に布施村・長瀬村が、若江郡に小阪村・高井田村・楠根村・弥刀村・意岐部村・若江村・玉川村・北江村・西六郷村が、河内郡に枚岡村・枚岡南村・池島村・日根市村・大戸村・英田村・三野郷村・東六郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年渋川郡・若江郡・河内郡などの区域で中河内郡が発足し、19村は中河内郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1912年10月1日大正元年中河内郡日根市村が改称し、孔舎衙村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1925年4月1日大正14年中河内郡布施村と小阪村がそれぞれ町制を施行し、布施町・小阪町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1929年4月1日昭和4年中河内郡枚岡南村・池島村が合併し、縄手村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1929年10月15日昭和4年中河内郡楠根村が町制を施行し、楠根町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1931年4月1日昭和6年中河内郡西六郷村・北江村・東六郷村が合併し、盾津村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1933年4月1日昭和8年中河内郡布施町・高井田村が合併し、布施町となった。種類:その他 出典:Wikipedia
- 1937年4月1日昭和12年中河内郡布施町・小阪町・楠根町・長瀬村・意岐部村・弥刀村が合併し、布施市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1939年7月昭和14年中河内郡枚岡村が町制を施行し、枚岡町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1943年10月1日昭和18年中河内郡盾津村と玉川村がそれぞれ町制を施行し、盾津町・玉川町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1947年10月1日昭和22年中河内郡縄手村が町制を施行し、縄手町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1949年1月1日昭和24年中河内郡盾津町の一部が北河内郡住道町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1950年4月1日昭和25年中河内郡大戸村が町制を施行するとともに改称し、石切町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年1月11日昭和30年中河内郡枚岡町・縄手町・石切町・孔舎衙村が合併し、枚岡市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.osaka.lg.jp
- 1955年1月15日昭和30年中河内郡盾津町・玉川町・英田村・三野郷村・若江村が合併し、河内市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.osaka.lg.jp
- 1955年2月1日昭和30年河内市の一部(福万寺・上之島)が八尾市に編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
- 1959年1月20日昭和34年河内市の一部(加納・川中の各一部)が大東市に、大東市の一部(灰塚の一部)が河内市にそれぞれ編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
- 1967年2月1日昭和42年布施市・河内市・枚岡市が合併し、東大阪市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.osaka.lg.jp
- 1979年5月1日昭和54年東大阪市の一部が大東市に編入された。種類:一部編入 出典:www.e-stat.go.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.higashiosaka.lg.jp/cmsfiles/contents/0000018/18911/170201.pdf
- www.city.higashiosaka.lg.jp/0000012774.html
- www.city.higashiosaka.lg.jp/0000040730.html
- www.city.higashiosaka.lg.jp/0000029149.html
- www.masse.or.jp/material/files/group/3/R7sityousonhando.pdf
- www.pref.osaka.lg.jp/documents/27753/0-1_zentai.pdf
- ja.wikipedia.org/wiki/中河内郡
- www.e-stat.go.jp/municipalities/cities/areacode