大阪府 › 大東市

大東市だいとうし

1920年には3の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の大東市になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の大東市

大阪府東部にあり、生駒山地の西麓から寝屋川沿いの平野へ広がるまちです。山側には飯盛城跡や野崎観音があり、平野部では寝屋川と恩智川が合流します。住道は舟運や農産物の集散で栄え、今は学研都市線の駅を中心に商業施設や住宅が集まっています。電気機械や産業機械などの工場も立地しています。野崎まいりの参道や御領の水路には、古くから水とともに暮らしてきた地域の姿が残ります。

今の大東市の区域の人口は、2020年の国勢調査で119,367人です。今の区域で数えた1980年の116,635人とくらべると2.3%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は27.1%です。

119,367人人口(2020年)
+2.3%1980年からの増減
18.27km²面積(国土地理院)
6,533人/km²人口密度
27.1%65歳以上の割合
128,9171980199020052020
15歳未満 11.9%15〜64歳 61.0%65歳以上 27.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:電気機械・産業機械・金属製品などの製造業と、商業・サービス業が営まれています。

特産品・名産

  • 義肢装具地域の名産に挙げられる医療用具
  • パチンコ玉地域で製造される金属製品
  • プチトマト市内で栽培される農産物

見どころ・祭り

  • 飯盛城跡三好長慶の居城となった山城跡
  • 野崎観音(慈眼寺)野崎まいりの参詣先となる寺
  • 深北緑地平野部に広がる府営の緑地

木さんごじゅ花菊大東市の木・花

大東市のなりたち

大東市(だいとうし)は、大阪府北河内地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。四条村・南郷村・住道村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の大東市になりました。

今の名前「大東市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の四条村が約11km²だったのに対し、今の大東市は約18km²と、およそ1.6倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は北河内郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北河内郡は1971年(昭和46年)11月3日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧四条村の区域には四条畷駅(片町線)があります。旧住道村の区域には住道駅(片町線)があります。

31920年の町村の数
3回合併・編入の回数
18km²今の面積
1956年いちばん新しい合併

「大東市」という名前

大東市の名は、1956年に住道町・四条町・南郷村が合併した際に付けられました。大阪市の東側にある都市として、これからの発展への期待を込めた名前です。「光は東方より」という言葉にも願いが託されました。まちの中心となった住道は寝屋川と恩智川の合流点にあり、舟運や農産物の集散で栄えてきました。東の山麓から西の平野までが一つの市にまとまりました。

まちの成り立ち

1889年4月1日の町村制で、今の市域の中心部には茨田郡南郷村と讃良郡住道村・四条村が発足しました。1896年に茨田郡・交野郡・讃良郡の区域で北河内郡が生まれ、3村は新しい郡に属します。1937年1月1日に住道村が町制を施行しました。1949年には中河内郡盾津町の一部が住道町へ移り、1952年4月1日には四条村も町となりました。

1956年4月1日、住道町・四条町・南郷村の2町1村が新設合併し、大東市が誕生しました。1959年1月20日には河内市の加納・川中の各一部が加わり、大東市の灰塚の一部は河内市に移りました。1979年5月1日にも東大阪市の一部を編入しています。

生駒山麓には古くから人が住み、中世には東高野街道が通る戦略上の要地となりました。飯盛城には三好長慶が入り、平野部では深野池や新開池が広がっていました。1704年の大和川付替え後、池は新田に変わり、米や綿の栽培が盛んになります。寝屋川と恩智川の合流点は舟運でにぎわい、野崎まいりへ向かう人々も行き交いました。近代以降は鉄道によって大阪との結びつきが強まっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、茨田郡に南郷村が、讃良郡に住道村・四条村が、若江郡に西六郷村・北江村が、河内郡に東六郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1896年4月1日明治29年茨田郡・交野郡・讃良郡の区域で北河内郡が発足し、南郷村・住道村・四条村は北河内郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1896年4月1日明治29年若江郡西六郷村・北江村と河内郡東六郷村は、新たに発足した中河内郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1931年4月1日昭和6年中河内郡西六郷村・北江村・東六郷村が合併し、盾津村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1937年1月1日昭和12年北河内郡住道村が町制を施行し、住道町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  6. 1943年10月1日昭和18年中河内郡盾津村が町制を施行し、盾津町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  7. 1949年1月1日昭和24年中河内郡盾津町の一部が北河内郡住道町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  8. 1952年4月1日昭和27年北河内郡四条村が町制を施行し、四条町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  9. 1955年1月15日昭和30年中河内郡盾津町・玉川町・英田村・三野郷村・若江村が合併し、河内市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.osaka.lg.jp
  10. 1956年4月1日昭和31年北河内郡住道町・四条町・南郷村が合併し、大東市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.osaka.lg.jp
  11. 1959年1月20日昭和34年河内市の一部(加納・川中の各一部)が大東市に、大東市の一部(灰塚の一部)が河内市にそれぞれ編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
  12. 1979年5月1日昭和54年東大阪市の一部が大東市に編入された。種類:一部編入 出典:www.e-stat.go.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

大東市1956〜今
四条村→四條村→四條町1889〜1956
南郷村1889〜1956
住道村→住道町1889〜1956同じ名前の駅:住道駅

参考にした資料