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守口市もりぐちし

1920年には3の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の守口市になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の守口市

大阪平野の中央部、淀川の左岸に広がる平坦な市です。大阪市に接し、京阪電車や地下鉄沿線に住宅地と商業地が続きます。古くは京都と大坂を結ぶ宿場町で、文禄堤や街道沿いの建物にその面影が残っています。工場の立地とともに都市化が進み、今は大日駅周辺も商業の拠点となっています。淀川の河川敷には広い水辺の景観があり、伝統野菜の守口大根を育てる活動も続いています。

今の守口市の区域の人口は、2020年の国勢調査で143,096人です。今の区域で数えた1980年の165,630人とくらべると13.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は29.3%です。

143,096人人口(2020年)
−13.6%1980年からの増減
12.71km²面積(国土地理院)
11,259人/km²人口密度
29.3%65歳以上の割合
165,6301980199020052020
15歳未満 11.1%15〜64歳 59.6%65歳以上 29.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:住宅地と商業地が広がり、電気機器などの製造業も発展してきました。

特産品・名産

  • 守口大根復活栽培が進む、細長いなにわの伝統野菜
  • まもりぐちミルク風味の皮で黄身あんを包む銘菓
  • ブッセ地元のセンジュドー菓子店の看板菓子

見どころ・祭り

  • 文禄堤街道の歴史と宿場の面影を伝える堤
  • 佐太天神宮佐太地域に鎮座する神社
  • 旧中西家住宅もりぐち歴史館として紹介される住宅
  • 難宗寺旧街道沿いにある寺院

木くすのき花さつき守口市の木・花

守口市のなりたち

守口市(もりぐちし)は、大阪府北河内地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。三郷村・庭窪村・守口町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の守口市になりました。

今の名前「守口市」は、1920年にあった守口町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の守口町が約2km²だったのに対し、今の守口市は約12km²と、およそ7.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は北河内郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北河内郡は1971年(昭和46年)11月3日に廃止されました。

31920年の町村の数
2回合併・編入の回数
13km²今の面積
1957年いちばん新しい合併

「守口市」という名前

市名は、合併前の守口町から受け継いだものです。守口は江戸時代、京都と大坂を結ぶ街道の宿場町となり、元禄年間には守口町と公称されました。1889年の町村制でも守口町の名が使われ、1946年に三郷町と合併して守口市が発足しました。1957年には庭窪町を編入し、今に続いています。「守口」という地名そのものの由来は、はっきりしていません。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、今の市域に茨田郡守口町・三郷村・庭窪村が発足しました。1896年には茨田郡・交野郡・讃良郡がまとまって北河内郡となり、この1町2村も同じ郡に属しました。街道沿いの守口は、江戸時代から京都と大坂の間を行き来する人々を迎える宿場町でした。1910年に京阪電車が開通し、1931年には国道1号線の完成と大阪市電の運転開始によって、大阪との結び付きが強まりました。1936年(昭和11年)12月1日には三郷村が町制を施行して三郷町となりました。1946年(昭和21年)11月1日に守口町と三郷町が合併し、守口市が生まれました。北側に残った庭窪村は1948年(昭和23年)4月1日に庭窪町となり、1957年(昭和32年)4月1日に守口市へ編入されました。田畑の広かった地域には住宅や工場が増え、都市化が急速に進みました。その後も地下鉄谷町線が延び、1997年には大阪モノレールが大日まで開通しました。文禄堤や街道沿いの建物には宿場の面影が残り、庭窪などの地名は学校や地域の名として受け継がれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、茨田郡に守口町・三郷村・庭窪村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1896年4月1日明治29年茨田郡・交野郡・讃良郡の区域に北河内郡が発足し、各町村が同郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1936年12月1日昭和11年北河内郡三郷村が町制を施行し、三郷町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1946年11月1日昭和21年北河内郡守口町・三郷町が合併し、守口市が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.moriguchi.osaka.jp
  5. 1948年4月1日昭和23年北河内郡庭窪村が町制を施行し、庭窪町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  6. 1957年4月1日昭和32年北河内郡庭窪町が守口市に編入された。種類:編入 出典:www.masse.or.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

守口町→守口市1889〜今
庭窪村→庭窪町1889〜1957
三郷村1889〜1946

参考にした資料