今の吹田市
大阪市の北側に接し、南部の川沿いの平地から北部の千里丘陵へ広がる市です。神崎川や安威川が流れる南部には、古くからの集落や工場が集まります。北部には千里ニュータウンや大学、万博記念公園があり、緑地と住宅地が続きます。鉄道の操車場やビールづくりに支えられた歴史を持ち、現在は商業・サービス業の比重が高いまちです。農地では伝統野菜の吹田くわいも育てられています。
今の吹田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で385,567人です。今の区域で数えた1980年の332,418人とくらべると16.0%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.8%です。
主な産業:商業・サービス業の比重が高く、食品などの製造業と都市農業も営まれています。
特産品・名産
- 吹田くわい市に伝わる在来のくわい
- たけのこ春に市内で採れる農産物
- 新たまねぎ地産地消を進める市内産野菜
見どころ・祭り
- 万博記念公園1970年の万博会場跡地
- 国立民族学博物館万博記念公園内の博物館
- 旧西尾家住宅旧市街に残る住宅
- 吹田市立博物館市の歴史と文化を紹介する施設
木クスノキ花サツキ吹田市の木・花
吹田市のなりたち
吹田市(すいたし)は、大阪府三島地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。千里村・岸部村・豊津村・吹田町・新田村・山田村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の吹田市になりました。
今の名前「吹田市」は、1920年にあった吹田市の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の吹田町が約6km²だったのに対し、今の吹田市は約36km²と、およそ6.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は三島郡・豊能郡に属していました。
「吹田市」という名前
「吹田」は、古くは「次田」と書かれ、「すきた」と読まれていたと考えられています。『行基年譜』には「嶋下郡次田里」や「次田堀川」の名が登場します。「すきた」の発音が「すいた」に変わり、草書体の「次」に似た「吹」の字が使われるようになったという説明です。後の文献には「水田」と書く例もあり、古い呼び名がいくつかの表記で伝わっています。
まちの成り立ち
吹田は、神崎川沿いの水運と陸路が交わるまちとして栄えました。1889年の町村制では、島下郡に吹田村・千里村・岸部村・山田村・新田村、豊島郡に豊津村が発足します。1896年に島下郡側の村は三島郡、豊島郡の豊津村は豊能郡に属しました。吹田村は1908年に町制を施行しました。
1940年4月1日、三島郡吹田町・千里村・岸部村と豊能郡豊津村の1町3村が合併し、吹田市が発足します。1953年には新田村が分割され、上新田が豊中市へ、下新田が吹田市へ編入されました。1955年には山田村を編入し、1958年には市の一部が茨木市へ移りました。1963年には三島町の一部が加わっています。
近代の吹田にはビール工場や鉄道の操車場が置かれ、工業のまちとして発展しました。北部の千里丘陵では千里ニュータウンが開かれ、1970年には日本万国博覧会が開催されます。会場跡地は万博記念公園となり、太陽の塔が残っています。川沿いの旧市街と丘陵の住宅地が共存する市となり、2020年には中核市へ移行しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、島下郡に吹田村・千里村・岸部村・山田村・新田村が、豊島郡に豊津村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年島下郡の各村は三島郡に、豊島郡の豊津村は豊能郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1908年4月1日明治41年三島郡吹田村が町制を施行し、吹田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1940年4月1日昭和15年三島郡吹田町・千里村・岸部村と豊能郡豊津村が合併し、吹田市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1953年7月1日昭和28年三島郡新田村が分割され、上新田が豊中市に、下新田が吹田市に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1955年10月15日昭和30年三島郡山田村が吹田市に編入された。種類:編入 出典:www.masse.or.jp
- 1958年1月1日昭和33年吹田市の一部が茨木市に編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
- 1963年4月1日昭和38年三島郡三島町の一部が吹田市に編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。