今の和泉市
大阪府南部の泉州にあり、北部の市街地から南の和泉山脈まで細長く広がる市です。槇尾川や松尾川が流れ、南部には山林やみかん畑が見られます。府中には古代の和泉国府が置かれ、池上曽根遺跡などの史跡も残ります。和泉府中駅周辺のまちに加え、和泉中央駅周辺では住宅地や商業施設が発展しました。織物やガラス加工などの地場産業も受け継がれています。
今の和泉市の区域の人口は、2020年の国勢調査で184,495人です。今の区域で数えた1980年の124,322人とくらべると48.4%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は25.9%です。
主な産業:綿織物・ガラス製品・人造真珠などの製造業があり、みかんやいちごも栽培されます。
特産品・名産
- 和泉木綿綿作の歴史を受け継ぐ織物
- 和泉蜻蛉玉ガラスを使った色や模様のある玉
- みかん南部の丘陵地などで栽培される果物
見どころ・祭り
- 池上曽根遺跡弥生時代の大規模な環濠集落の跡
- 泉井上神社市名に伝わる和泉清水がある神社
- 小栗街道熊野詣の人々が通った街道
木クスノキ花スイセン和泉市の木・花
和泉市のなりたち
和泉市(いずみし)は、大阪府泉北地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。伯太村・国府村・郷荘村・北池田村・北松尾村・南池田村・南松尾村・横山村・南横山村・信太村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の和泉市になりました。
今の名前「和泉市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの10の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の横山村が約22km²だったのに対し、今の和泉市は約83km²と、およそ3.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は泉北郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧信太村の区域には信太山駅(阪和線)があります。
「和泉市」という名前
「和泉」の名は、府中町の泉井上神社にある「和泉清水」に由来すると伝わります。神功皇后が訪れた際に清水が湧き出たという伝説があり、のちの国名にも受け継がれました。もとは「泉」と書き、国や郡の名を二字のよい字で表す決まりに合わせて「和泉」としたと考えられています。近代の和泉町を経て、1956年に誕生した市もこの名を引き継ぎました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、今の和泉市域には和泉郡の12村が置かれました。国府村・伯太村・郷荘村、信太村・南王子村、北池田村・南池田村、北松尾村・南松尾村、東横山村・西横山村・南横山村です。1896年には大鳥郡と和泉郡の区域に泉北郡が置かれ、各村の所属が変わりました。1903年には東横山村と西横山村が合併して横山村となります。
1933年(昭和8年)4月1日、国府村・伯太村・郷荘村が合併し、和泉町が発足しました。1943年には南王子村が町制を施行し、八坂町に改称しています。昭和の大合併では、1956年(昭和31年)9月1日に和泉町と北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・横山村・南横山村の1町6村が新設合併し、和泉市が誕生しました。1960年(昭和35年)8月1日には八坂町と信太村を編入しています。
古くから国府が置かれた府中のまちと、綿織物やみかんづくりが盛んな地域が一つの市になりました。1995年には和泉中央駅が開業し、桃山学院大学も市内へ移りました。トリヴェール和泉の住宅開発やテクノステージ和泉への工場進出が進み、市の中央部にも新しい市街地が広がっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、和泉郡に国府村・伯太村・郷荘村・信太村・南王子村・北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・東横山村・西横山村・南横山村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年大鳥郡と和泉郡の区域で泉北郡が発足し、国府村・伯太村・郷荘村・信太村・南王子村・北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・東横山村・西横山村・南横山村が泉北郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1903年5月1日明治36年泉北郡東横山村・西横山村が合併し、横山村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1933年4月1日昭和8年泉北郡国府村・伯太村・郷荘村が合併し、和泉町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1943年10月7日昭和18年泉北郡南王子村が町制を施行するとともに改称し、八坂町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年9月1日昭和31年泉北郡和泉町・北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・横山村・南横山村が新設合併し、和泉市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.osaka.lg.jp
- 1959年7月1日昭和34年泉北郡信太村の一部が泉大津市に編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
- 1960年8月1日昭和35年泉北郡八坂町・信太村が和泉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.osaka.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.osaka-izumi.lg.jp/izumishi_profile/yurai.html
- www.city.osaka-izumi.lg.jp/izumishi_profile/enkaku.html
- www.city.osaka-izumi.lg.jp/izumishi_profile/izumiayumi.html
- www.masse.or.jp/material/files/group/3/R7sityousonhando.pdf
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B3%89%E5%8C%97%E9%83%A1&action=raw
- www.pref.osaka.lg.jp/documents/27753/0-1_zentai.pdf