今の泉大津市
大阪府南部、大阪湾に面する泉州のまちです。海沿いの港湾・工業地帯と、南海本線沿線の住宅地が広がります。古くは和泉国の港として栄え、綿織物から毛布、ニットへとつながる繊維産業が育ちました。市内には本殿などが重要文化財の泉穴師神社があり、和泉市との境には弥生時代の池上曽根遺跡が広がります。港からは北九州へのフェリーも運航しています。
今の泉大津市の区域の人口は、2020年の国勢調査で74,412人です。今の区域で数えた1980年の67,474人とくらべると10.3%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は25.9%です。
主な産業:毛布・ニット・毛織物の製造が盛んで、港湾物流や商業も営まれます。
特産品・名産
- 毛布織り・編み・起毛の技術を受け継ぐ
- ニット戦後に発展した繊維産業の製品
- 毛織物まちを代表する繊維製品の一つ
見どころ・祭り
- 泉穴師神社本殿と摂社の本殿が国の重要文化財
- 池上曽根遺跡和泉市にまたがる弥生時代の国史跡
- 市立織編館繊維の資料収集や体験学習を行う施設
木クスノキ花サツキ泉大津市の木・花
泉大津市のなりたち
泉大津市(いずみおおつし)は、大阪府泉北地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。上条村・穴師村・大津町です。
今の名前「泉大津市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の大津町が約4km²だったのに対し、今の泉大津市は約14km²と、およそ3.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は泉北郡に属していました。
「泉大津市」という名前
「大津」は、古く「小津」と書かれた海辺の地名から変わったものといわれます。和泉国の国府を支える港として発展し、大きな港を意味する名になったと伝わります。紀貫之の『土佐日記』にも小津の浦が登場します。近代の大津村、大津町へと名が受け継がれ、1942年の市制施行では、和泉国の「泉」を加えて泉大津市となりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行によって、海沿いとその周辺の17か村が和泉郡大津村・穴師村・上条村の3村にまとまりました。1896年には和泉郡と大鳥郡が統合され、3村は泉北郡に属するようになります。大津村は1915年(大正4年)4月1日に町制を施行し、大津町となりました。
1931年(昭和6年)8月20日、大津町・穴師村・上条村が合併し、大津町となりました。1942年(昭和17年)4月1日には市制を施行し、泉大津市に改称しています。1959年には隣接する信太村の一部を編入しました。
まちの発展を支えたのが、綿作からつながる繊維産業です。江戸時代には綿花の集散や織物づくりが盛んになり、1887年には牛の毛を使った毛布がつくられました。起毛や染色の工夫を重ね、毛布の産地として成長します。戦後にはニット産業も広がりました。海辺には港湾施設や工場が集まり、内陸の住宅地とともに市街地を形づくっています。穴師や上条の名は、学校や地域の名に受け継がれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、和泉郡に大津村・穴師村・上条村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.izumiotsu.lg.jp
- 1896年4月1日明治29年和泉郡と大鳥郡の区域で泉北郡が発足し、大津村・穴師村・上条村が泉北郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1915年4月1日大正4年泉北郡大津村が町制を施行し、大津町となった。種類:町制施行 出典:www.city.izumiotsu.lg.jp
- 1931年8月20日昭和6年泉北郡大津町・穴師村・上条村が合併し、大津町となった。種類:その他 出典:Wikipedia
- 1942年4月1日昭和17年泉北郡大津町が市制を施行するとともに改称し、泉大津市となった。種類:市制施行 出典:www.city.izumiotsu.lg.jp
- 1959年7月1日昭和34年泉北郡信太村の一部が泉大津市に編入された。種類:一部編入 出典:www.masse.or.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。