今の高石市
大阪府南部、大阪湾に面する泉州の市です。北と東は堺市、南は和泉市・泉大津市に接します。海沿いの埋立地には堺泉北臨海工業地帯の工場が並び、内陸の平坦な土地には住宅地が広がります。南海本線やJR阪和線が通り、大阪方面と結ばれています。高師浜は古くから松林の海岸として知られ、浜寺公園や高石神社などに海辺の歴史が残っています。
今の高石市の区域の人口は、2020年の国勢調査で55,635人です。今の区域で数えた1980年の66,815人とくらべると16.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は28.4%です。
主な産業:臨海部に石油・化学などの工場が集まり、内陸部は住宅地や商業地が広がります。
特産品・名産
- カステラ市内の工場でつくられる菓子
- 和紙提灯だんじりの提灯も手がける地場の品
- ペール缶市内メーカーによる収納用などの缶
見どころ・祭り
- 高石神社延喜式の神名帳にも名が残る古社
- 等乃伎神社富木の集落に鎮座する式内社
- 浜寺公園堺市と高石市に広がる松林の公園
木マツ花キク高石市の木・花
高石市のなりたち
高石市(たかいしし)は、大阪府泉北地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。取石村・高石町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の高石市になりました。
今の名前「高石市」は、1920年にあった高石町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の高石町が約4km²だったのに対し、今の高石市は約11km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は泉北郡に属していました。
「高石市」という名前
「高石」は、古代からこの海辺で使われてきた地名です。『古事記』や『日本書紀』にも、高脚・高志・高石などの表記が見られます。1889年に高石南村・高石北村・今在家村・新村が合わさって高石村ができた際には、高石荘にちなむ村名が選ばれました。その名を高石町が受け継ぎ、1966年の市制施行で高石市となりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、大鳥郡に高石村と取石村が発足しました。海側の高石村は、高石南村・高石北村・今在家村・新村の4村が合わさった村です。1896年には大鳥郡と和泉郡が統合され、高石村・取石村は泉北郡に属するようになりました。
高石の海岸は松林の景勝地として知られ、紀州街道沿いには集落が発達しました。1901年には南海鉄道の葛の葉駅が開設されます。日露戦争中には海辺にロシア兵の収容所が置かれました。その跡地では道路や排水施設が整えられ、住宅地が広がっていきます。高石村は1915年(大正4年)1月1日に町制を施行し、高石町となりました。
1953年(昭和28年)4月1日、高石町は東隣の取石村を編入しました。その後は臨海部の埋め立てが進み、石油・化学などの工場が集まります。住宅地の拡大と人口の増加も続き、1966年(昭和41年)11月1日に市制を施行して高石市となりました。海辺の工業地帯と鉄道沿線の住宅地が、現在のまちを形づくっています。取石の名も学校や町名に残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、大鳥郡に高石村・取石村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.takaishi.lg.jp
- 1896年4月1日明治29年大鳥郡と和泉郡の区域で泉北郡が発足し、高石村・取石村が泉北郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1915年1月1日大正4年泉北郡高石村が町制を施行し、高石町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1953年4月1日昭和28年泉北郡取石村が高石町に編入された。種類:編入 出典:www.city.takaishi.lg.jp
- 1966年11月1日昭和41年泉北郡高石町が市制を施行し、高石市となった。種類:市制施行 出典:www.city.takaishi.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。