今の奈義町
岡山県の北東部にある町で、北は鳥取県に接します。中国山地に位置し、北に那岐山が連なります。南部は日本原高原と呼ばれ、陸上自衛隊の演習場があります。かつて浅い海だったため、ビカリアなどの化石が出ます。里芋が特産で、菜の花米も作られています。奈義町現代美術館やなぎビカリアミュージアム、菩提寺のイチョウがあります。
今の奈義町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,578人です。今の区域で数えた1980年の7,818人とくらべると28.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.4%です。
主な産業:農林業が中心の町です。里芋や菜の花米などを作ります。
特産品・名産
- 里芋町の代表的な産品。黒ぼこ土壌で育つ
- 菜の花米田に菜の花を植えて作る米
- なぎビーフ山の駅で扱われる牛肉
見どころ・祭り
- 那岐山町の北にそびえる山
- 奈義町現代美術館現代美術の施設
- なぎビカリアミュージアム化石博物館
- 菩提寺のイチョウ国の天然記念物
- 滝山渓谷町内の渓谷
木イチョウ花ウメ奈義町の木・花
奈義町のなりたち
奈義町(なぎちょう)は、岡山県美作の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。豊並村・豊田村・北吉野村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の奈義町になりました。
今の名前「奈義町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の豊並村が約34km²だったのに対し、今の奈義町は約69km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は勝田郡に属していました。
「奈義町」という名前
「奈義」という町名の由来は、はっきりしていません。町の北には、那岐山がそびえています。1955年(昭和30年)2月1日に、勝田郡の豊並村・豊田村・北吉野村の3村が合わさって、奈義町が発足しました。その後は、他の町村との合併をしていません。
まちの成り立ち
奈義町は、中国山地に位置し、町域の大半を山林が占めます。南部は日本原高原と呼ばれる高原で、陸上自衛隊の日本原駐屯地と演習場があります。台風の季節などには、広戸風と呼ばれる強い風が山から吹き下ろします。この地は太古に浅い海だったため、ビカリアなどの巻貝の化石が出土します。1955年(昭和30年)2月1日、勝田郡の豊並村・豊田村・北吉野村の3村が合わさり、町制を施行して奈義町が発足しました。それ以来、町の形は変わっていません。平成の大合併のころ、町は2002年に合併の是非を問う住民投票を行い、自立のまちづくりを選びました。町議会基本条例の前文に、その経緯が書かれています。町には奈義町現代美術館があり、芸術に触れることもできます。毎年11月下旬には、地域に伝わる横仙歌舞伎の大公演が開かれます。町は豪雪地帯で、冬は雪が多くなります。南部の日本原高原には、陸上自衛隊の駐屯地があります。化石を展示するなぎビカリアミュージアムや、菩提寺のイチョウなど、見どころもあります。
年表
- 1889年6月1日明治22年町村制の施行により、勝北郡に北吉野村・豊田村・豊並村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1900年4月1日明治33年郡制の施行で勝北郡と勝南郡が合わさって勝田郡となり、3村は勝田郡の所属となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1955年2月1日昭和30年勝田郡の北吉野村・豊田村・豊並村が合併し、奈義町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。