今の勝央町
岡山県の北東部にあり、中国山地の南部に位置する町です。大半が丘陵と山林で、中心の勝間田はかつて出雲往来の宿場でした。北西部に工業団地があり、製薬や香料、事務用品などの企業が立地しています。農業では黒大豆の生産に力を入れ、梨や桃、栗、ブドウも作られます。旧出雲街道の町並みや、坂田金時を祀る栗柄神社があります。
今の勝央町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,888人です。今の区域で数えた1980年の10,382人とくらべると4.9%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.9%です。
主な産業:黒大豆などの農業と、工業団地の製造業が主な産業です。
特産品・名産
- 黒大豆近年生産に力を入れる
- 梨町の農業特産品
- 桃町の農業特産品
見どころ・祭り
- 旧出雲街道勝間田宿旧宿場町の町並み
- 栗柄神社坂田金時を祀る神社
- 勝間田神社町内の神社
- 旧勝田郡役所庁舎かつての郡役所の建物
木カシ花ツツジ勝央町の木・花
勝央町のなりたち
勝央町(しょうおうちょう)は、岡山県美作の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。古吉野村・植月村・吉野村・勝間田町・高取村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の勝央町になりました。
今の名前「勝央町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の吉野村が約14km²だったのに対し、今の勝央町は約53km²と、およそ3.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は勝田郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧勝間田町の区域には勝間田駅(姫新線)があります。
「勝央町」という名前
「勝央」という町名の由来は、はっきりしていません。町は勝田郡にあり、町の中心の勝間田は、かつて出雲往来の美作7駅の一つとして栄えました。1954年(昭和29年)3月に、勝間田町・植月村・高取村・古吉野村の1町3村と吉野村の一部が合わさり、勝央町が発足しました。
まちの成り立ち
勝央町は、中国山地の南部に位置し、大半が丘陵と山林です。中心の勝間田は、かつて出雲往来の美作7駅の一つとして栄えました。1954年(昭和29年)3月、勝田郡の勝間田町・植月村・高取村・古吉野村の1町3村と、吉野村の一部が合わさって、勝央町が発足しました。1955年(昭和30年)6月1日には、高取村だった池ヶ原・堂尾の地区を津山市に編入しています。平成の大合併のころは、津山市や勝田郡・英田郡の自治体との合併が協議されましたが、町は当面、単独で続けることにしました。2006年に黒土の大河内遺跡で石器類が出土し、縄文時代の草創期からこの土地に人が住んでいたことが分かりました。農業では、近年黒大豆の生産に力を入れており、周りの自治体と合わせた岡山県の収穫高は日本一を誇ります。町の北西部には、勝央中核工業団地(ネオパーク勝央)があり、製薬や香料などの企業が立地しています。梨や桃、栗、ブドウも作られています。町には、旧出雲街道の勝間田宿の町並みや、坂田金時を祀る栗柄神社があります。
年表
- 1889年6月1日明治22年町村制の施行により、勝北郡に植月村・吉野村・古吉野村、勝南郡に勝間田村・高取村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1900年4月1日明治33年郡制の施行で勝北郡と勝南郡が合わさって勝田郡となり、各村は勝田郡の所属となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1906年3月28日明治39年勝田郡の勝間田村が町制を施行し、勝間田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年勝田郡の勝間田町・植月村・高取村・古吉野村と吉野村(豊久田の杉原を除く)が合併し、勝央町が発足した。吉野村の杉原は勝田町に編入された。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年6月1日昭和30年勝央町の一部(池ヶ原・堂尾)が津山市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。