今の竹田市
今の竹田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で20,332人です。今の区域で数えた1980年の36,011人とくらべると43.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は48.3%です。
竹田市のなりたち
竹田市(たけたし)は、大分県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、19の町村がありました。明治村・岡本村・白丹村・城原村・宮城村・豊岡村・菅生村・玉来町・松本村・入田村・宮砥村・嫗岳村・都野村・久住町・下竹田村・長湯村・柏原村・荻村・竹田町です。これらの町村が、7回の合併や編入を経て、今の竹田市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1942年(昭和17年)4月1日に明治村・岡本村が合わさって、竹田町が生まれました。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1948年(昭和23年)4月1日に長湯村が町になり、長湯町となりました(町制施行)。1954年(昭和29年)3月31日に城原村・宮城村・豊岡村・菅生村・玉来町・松本村・入田村・宮砥村・嫗岳村が合わさって、竹田市が生まれました。1954年(昭和29年)3月31日に白丹村が合わさって、久住町が生まれました。1954年(昭和29年)3月31日に竹田町が市になり、竹田市となりました(市制施行)。1955年(昭和30年)3月20日に都野村・久住町が合わさって、久住町が生まれました。1955年(昭和30年)3月31日に下竹田村・長湯町が合わさって、直入町が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に柏原村が合わさって、荻町が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に荻村が町になり、荻町となりました(町制施行)。1958年ごろに久住都町が、名前を久住町に変えました。この時期だけで9回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)4月1日に荻町・久住町・直入町が合わさって、竹田市が生まれました。
今の名前「竹田市」は、1920年にあった竹田町の名前を受け継いでいます。ほかの18の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は直入郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、直入郡は2005年(平成17年)4月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧玉来町の区域には玉来駅(豊肥本線)があります。
年表
- 1942年4月1日昭和17年明治村・岡本村が合わさって、竹田町が生まれた出典:wiki
- 1948年4月1日昭和23年長湯村が町になり、長湯町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年3月31日昭和29年城原村・宮城村・豊岡村・菅生村・玉来町・松本村・入田村・宮砥村・嫗岳村が合わさって、竹田市が生まれた出典:wiki
- 1954年3月31日昭和29年白丹村が合わさって、久住町が生まれた出典:wiki
- 1954年3月31日昭和29年竹田町が市になり、竹田市となった(市制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年3月20日昭和30年都野村・久住町が合わさって、久住町が生まれた出典:wiki
- 1955年3月31日昭和30年下竹田村・長湯町が合わさって、直入町が生まれた出典:wiki
- 1955年4月1日昭和30年柏原村が合わさって、荻町が生まれた出典:wiki
- 1955年4月1日昭和30年荻村が町になり、荻町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1958年ごろ1955〜1960年のあいだ久住都町が、名前を久住町に変えた
- 2005年4月1日平成17年荻町・久住町・直入町が合わさって、竹田市が生まれたe-Stat「竹田市(44208)、荻町(44441)、久住町(44442)、直入町(44443)が合併し、竹田市を新設 直入郡(44440)の廃止」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。