今の豊後高田市
今の豊後高田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,112人です。今の区域で数えた1980年の30,705人とくらべると28.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.9%です。
豊後高田市のなりたち
豊後高田市(ぶんごたかだし)は、大分県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、15の町村がありました。中真玉村・西真玉村・草地村・西都甲村・東都甲村・河内村・臼野村・上真玉村・呉崎村・高田町・田染村・三浦村・三重村・封戸村・香々地町です。これらの町村が、9回の合併や編入を経て、今の豊後高田市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1941年(昭和16年)4月1日に中真玉村・西真玉村が合わさって、真玉町が生まれました。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1951年(昭和26年)4月1日に草地村・西都甲村・東都甲村・河内村が合わさって、豊後高田市が生まれました。1953年ごろに真玉村が町になり、真玉町となりました(町制施行)。1954年(昭和29年)3月31日に呉崎村が、豊後高田市に入りました(編入)。1954年(昭和29年)3月31日に臼野村・上真玉村が合わさって、真玉町が生まれました。1954年(昭和29年)5月10日に高田町が、豊後高田市と一つになりました。1954年(昭和29年)5月31日に田染村が、豊後高田市に入りました(編入)。1954年(昭和29年)8月31日に三浦村・三重村が合わさって、香々地町が生まれました。1955年(昭和30年)3月31日に封戸村の一部が、豊後高田市に入りました。この時期だけで8回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)3月31日に香々地町・真玉町が合わさって、豊後高田市が生まれました。
今の名前「豊後高田市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの15の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の田染村が約32km²だったのに対し、今の豊後高田市は約201km²と、およそ6.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は宇佐郡・西国東郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、宇佐郡は2005年(平成17年)3月31日に廃止されました、西国東郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました。
年表
- 1941年4月1日昭和16年中真玉村・西真玉村が合わさって、真玉町が生まれた出典:wiki
- 1951年4月1日昭和26年草地村・西都甲村・東都甲村・河内村が合わさって、豊後高田市が生まれた出典:wiki
- 1953年ごろ1950〜1955年のあいだ真玉村が町になり、真玉町となった(町制施行)
- 1954年3月31日昭和29年呉崎村が、豊後高田市に入った(編入)出典:wiki
- 1954年3月31日昭和29年臼野村・上真玉村が合わさって、真玉町が生まれた出典:wiki
- 1954年5月10日昭和29年高田町が、豊後高田市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年5月31日昭和29年田染村が、豊後高田市に入った(編入)出典:wiki
- 1954年8月31日昭和29年三浦村・三重村が合わさって、香々地町が生まれた出典:wiki
- 1955年3月31日昭和30年封戸村の一部が、豊後高田市に入った出典:wiki
- 2005年3月31日平成17年香々地町・真玉町が合わさって、豊後高田市が生まれたe-Stat「豊後高田市(44209)、真玉町(44302)、香々地町(44303)が合併し、豊後高田市を新設」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。