大分県 › 津久見市

津久見市つくみし

1920年には6の町村だった区域が、4回の合併・編入を経て、今の津久見市になりました。

6町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の津久見市

今の津久見市の区域の人口は、2020年の国勢調査で16,100人です。今の区域で数えた1980年の30,454人とくらべると47.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は45.0%です。

16,100人人口(2020年)
−47.1%1980年からの増減
79.44km²面積(国土地理院)
203人/km²人口密度
45.0%65歳以上の割合
30,4541980199020052020
15歳未満 8.8%15〜64歳 46.2%65歳以上 45.0%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

津久見市のなりたち

津久見市(つくみし)は、大分県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。津組村・青江村・下浦村・保戸島村・四浦村・日代村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の津久見市になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1921年(大正10年)1月1日に津組村が合わさって、津久見市が生まれました。1928年(昭和3年)4月1日に青江村が、津久見市と一つになりました。1933年(昭和8年)4月1日に下浦村が合わさって、津久見市が生まれました。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1951年(昭和26年)4月1日に保戸島村・四浦村・日代村が合わさって、津久見市が生まれました。1953年ごろに津久見町が市になり、津久見市となりました(市制施行)。

今の名前「津久見市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の津組村が約31km²だったのに対し、今の津久見市は約76km²と、およそ2.5倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は北海部郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北海部郡は2005年(平成17年)1月1日に廃止されました。

61920年の町村の数
4回合併・編入の回数
79km²今の面積
1951年いちばん新しい合併

年表

  1. 1921年1月1日大正10年津組村が合わさって、津久見市が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1928年4月1日昭和3年青江村が、津久見市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  3. 1933年4月1日昭和8年下浦村が合わさって、津久見市が生まれた出典:wiki
  4. 1951年4月1日昭和26年保戸島村・四浦村・日代村が合わさって、津久見市が生まれた出典:wiki
  5. 1953年ごろ1950〜1955年のあいだ津久見町が市になり、津久見市となった(市制施行)

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

津久見町→津久見市1921〜今
保戸島村1892〜1951
四浦村1892〜1951
日代村1889〜1951
下浦村1889〜1933
青江村1889〜1928
津組村1889〜1921