今の臼杵市
今の臼杵市の区域の人口は、2020年の国勢調査で36,158人です。今の区域で数えた1980年の51,302人とくらべると29.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.1%です。
臼杵市のなりたち
臼杵市(うすきし)は、大分県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、11の町村がありました。海辺村・田野村・佐志生村・上北津留村・下北津留村・下ノ江村・南津留村・川登村・南野津村・野津市村・臼杵町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の臼杵市になりました。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1949年(昭和24年)4月1日に野津市村が町になり、野津町となりました(町制施行)。1950年(昭和25年)4月1日に海辺村が合わさって、臼杵市が生まれました。1950年(昭和25年)4月1日に臼杵町が市になり、臼杵市となりました(市制施行)。1951年(昭和26年)4月1日に田野村が合わさって、野津町が生まれました。1954年(昭和29年)3月31日に佐志生村・上北津留村・下北津留村・下ノ江村・南津留村が、臼杵市に入りました(編入)。1955年(昭和30年)3月28日に川登村・南野津村が合わさって、野津町が生まれました。この時期だけで6回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)1月1日に野津町が合わさって、臼杵市が生まれました。
今の名前「臼杵市」は、1920年にあった臼杵町の名前を受け継いでいます。ほかの10の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の臼杵町が約41km²だったのに対し、今の臼杵市は約281km²と、およそ6.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北海部郡・大野郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北海部郡は2005年(平成17年)1月1日に廃止されました、大野郡は2005年(平成17年)3月31日に廃止されました。
年表
- 1949年4月1日昭和24年野津市村が町になり、野津町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1950年4月1日昭和25年海辺村が合わさって、臼杵市が生まれた出典:wiki
- 1950年4月1日昭和25年臼杵町が市になり、臼杵市となった(市制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1951年4月1日昭和26年田野村が合わさって、野津町が生まれた出典:wiki
- 1954年3月31日昭和29年佐志生村・上北津留村・下北津留村・下ノ江村・南津留村が、臼杵市に入った(編入)出典:wiki
- 1955年3月28日昭和30年川登村・南野津村が合わさって、野津町が生まれた出典:wiki
- 2005年1月1日平成17年野津町が合わさって、臼杵市が生まれたe-Stat「臼杵市(44206)、野津町(44421)が合併し、臼杵市を新設」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。