今の杵築市
今の杵築市の区域の人口は、2020年の国勢調査で27,999人です。今の区域で数えた1980年の35,066人とくらべると20.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.7%です。
杵築市のなりたち
杵築市(きつきし)は、大分県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、13の町村がありました。大内村・東村・中山香村・東山香村・上村・田原村・朝田村・立石町・山浦村・北杵築村・奈狩江村・八坂村・杵築町です。これらの町村が、8回の合併や編入を経て、今の杵築市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1933年(昭和8年)4月1日に大内村が合わさって、杵築町が生まれました。1936年(昭和11年)1月1日に東村が、杵築町に入りました(編入)。1938年(昭和13年)10月1日に中山香村が町になり、中山香町となりました(町制施行)。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1951年(昭和26年)4月1日に中山香町が合わさって、山香町が生まれました。1952年(昭和27年)4月1日に東山香村・上村が、山香町と一つになりました。1954年(昭和29年)10月1日に田原村・朝田村が合わさって、大田村が生まれました。1955年(昭和30年)3月31日に立石町・山浦村が合わさって、山香町が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に北杵築村・奈狩江村・八坂村が合わさって、杵築市が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に杵築町が市になり、杵築市となりました(市制施行)。この時期だけで6回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)10月1日に山香町・大田村が合わさって、杵築市が生まれました。
今の名前「杵築市」は、1920年にあった杵築町の名前を受け継いでいます。ほかの12の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は東国東郡・西国東郡・速見郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、西国東郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧中山香村の区域には中山香駅(日豊本線)があります。旧立石町の区域には立石駅(日豊本線)があります。
年表
- 1933年4月1日昭和8年大内村が合わさって、杵築町が生まれた出典:wiki
- 1936年1月1日昭和11年東村が、杵築町に入った(編入)出典:wiki
- 1938年10月1日昭和13年中山香村が町になり、中山香町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1951年4月1日昭和26年中山香町が合わさって、山香町が生まれた出典:wiki
- 1952年4月1日昭和27年東山香村・上村が、山香町と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年10月1日昭和29年田原村・朝田村が合わさって、大田村が生まれた出典:wiki
- 1955年3月31日昭和30年立石町・山浦村が合わさって、山香町が生まれた出典:wiki
- 1955年4月1日昭和30年北杵築村・奈狩江村・八坂村が合わさって、杵築市が生まれた出典:wiki
- 1955年4月1日昭和30年杵築町が市になり、杵築市となった(市制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 2005年10月1日平成17年山香町・大田村が合わさって、杵築市が生まれたe-Stat「杵築市(44210)、大田村(44301)、山香町(44342)が合併し、杵築市を新設 西国東郡(44300)の廃止」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。