今の国東市
今の国東市の区域の人口は、2020年の国勢調査で26,232人です。今の区域で数えた1980年の40,504人とくらべると35.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.5%です。
国東市のなりたち
国東市(くにさきし)は、大分県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、17の町村がありました。上伊美村・伊美村・中武蔵村・旭日村・西武蔵村・朝来村・西安岐村・南安岐村・来浦村・富来町・上国崎村・豊崎村・熊毛村・竹田津町・武蔵町・安岐町・国東町です。これらの町村が、8回の合併や編入を経て、今の国東市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1921年(大正10年)4月1日に来浦村が町になり、来浦町となりました(町制施行)。1923年(大正12年)4月1日に西安岐村が町になり、西安岐町となりました(町制施行)。1940年(昭和15年)12月23日に上伊美村が、伊美村に入りました(編入)。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1951年(昭和26年)1月1日に伊美村が合わさって、国見町が生まれました。1954年(昭和29年)3月31日に来浦町・富来町・上国崎村・豊崎村・旭日村が合わさって、国東町が生まれました。1954年(昭和29年)3月31日に中武蔵村と、旭日村の一部が合わさって、武蔵町が生まれました。1954年(昭和29年)3月31日に西武蔵村・朝来村・西安岐町・南安岐村が合わさって、安岐町が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に熊毛村が合わさって、国見町が生まれました。1960年(昭和35年)3月31日に竹田津町が合わさって、国見町が生まれました。この時期だけで6回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2006年(平成18年)3月31日に武蔵町・安岐町・国見町が合わさって、国東市が生まれました。2006年(平成18年)3月31日に国東町が市になり、国東市となりました(市制施行)。
今の名前「国東市」は、1920年にあった国東町の名前を受け継いでいます。ほかの16の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の国東町が約23km²だったのに対し、今の国東市は約309km²と、およそ13.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東国東郡に属していました。
年表
- 1921年4月1日大正10年来浦村が町になり、来浦町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1923年4月1日大正12年西安岐村が町になり、西安岐町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1940年12月23日昭和15年上伊美村が、伊美村に入った(編入)出典:wiki
- 1951年1月1日昭和26年伊美村が合わさって、国見町が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年3月31日昭和29年来浦町・富来町・上国崎村・豊崎村・旭日村が合わさって、国東町が生まれた出典:wiki
- 1954年3月31日昭和29年中武蔵村と、旭日村の一部が合わさって、武蔵町が生まれた出典:wiki
- 1954年3月31日昭和29年西武蔵村・朝来村・西安岐町・南安岐村が合わさって、安岐町が生まれた出典:wiki
- 1955年4月1日昭和30年熊毛村が合わさって、国見町が生まれた出典:wiki
- 1960年3月31日昭和35年竹田津町が合わさって、国見町が生まれた出典:wiki
- 2006年3月31日平成18年武蔵町・安岐町・国見町が合わさって、国東市が生まれたe-Stat「国見町(44321)、国東町(44323)、武蔵町(44324)、安岐町(44325)が合併し、国東市(44214)を新設」
- 2006年3月31日平成18年国東町が市になり、国東市となった(市制施行)e-Stat「国見町(44321)、国東町(44323)、武蔵町(44324)、安岐町(44325)が合併し、国東市(44214)を新設」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。