今の湯沢町
新潟県のいちばん南にあり、群馬県と長野県に接する町です。北だけが魚沼盆地につながり、東・南・西は越後山脈の高い山々に囲まれています。面積の大部分は山林で、全域が特別豪雪地帯です。魚野川や清津川が流れます。鎌倉時代から続くとされる温泉地で、上越新幹線や関越自動車道で首都圏と結ばれ、スキーと温泉の観光が盛んです。
今の湯沢町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,767人です。今の区域で数えた1980年の9,514人とくらべると18.4%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.7%です。
主な産業:温泉・スキーなどの観光業が中心で、米づくりなどの農業も営まれています。
特産品・名産
- 魚沼コシヒカリ町内でつくられる米
- かぐらなんばん町の農産物として挙げられる唐辛子
見どころ・祭り
- 越後湯沢温泉鎌倉時代から続くとされる温泉地
- 苗場スキー場町の南部にあるスキー場
- 苗場山日本百名山の一つ
- 湯沢町歴史民俗資料館 雪国館町の歴史と暮らしを紹介する施設
- 湯沢高原ロープウェイ湯沢高原へ上るロープウェイ
木ベニヤマザクラ花コスモス湯沢町の木・花
湯沢町のなりたち
湯沢町(ゆざわまち)は、新潟県中越地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。土樽村・神立村・三俣村・三国村・湯沢村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の湯沢町になりました。
今の名前「湯沢町」は、1920年にあった湯沢村の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の湯沢村が約16km²だったのに対し、今の湯沢町は約358km²と、およそ21.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南魚沼郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧土樽村の区域には土樽駅(上越線)があります。
「湯沢町」という名前
「湯沢」という名前の由来は、はっきりしていません。この地には鎌倉時代から続くとされる温泉があり、江戸時代には三国街道の湯沢宿が置かれていました。1889年(明治22年)の町村制で南魚沼郡湯沢村が生まれ、1955年(昭和30年)に周りの4村と合わさって湯沢町が発足しました。温泉は越後湯沢温泉の名で知られています。
まちの成り立ち
湯沢は鎌倉時代から続くとされる温泉地で、川端康成の小説『雪国』の舞台としても知られます。戦国時代には関東へ通じる三国峠を守るため、荒戸城や浅貝寄居城が築かれました。江戸時代には三国街道の宿場町として、湯沢宿・三俣宿・二居宿・浅貝宿がありました。
1889年(明治22年)の町村制で、南魚沼郡に湯沢村・土樽村・神立村・三俣村・二居村・浅貝村が生まれました。1901年には浅貝村と二居村が合わさって三国村となっています。
1955年(昭和30年)3月31日、湯沢村・三国村・三俣村・神立村・土樽村の5村が合わさって湯沢町が発足し、今の町の範囲ができました。
1982年に上越新幹線が開業し、首都圏から行きやすくなりました。昭和の終わりから平成の初めにかけてはスキー場が次々に開かれ、たくさんのリゾートマンションが建ちました。その後スキー客が減り、町は大きな影響を受けましたが、今も観光を中心とする町として、温泉とスキーに多くの人が訪れています。町の全域が特別豪雪地帯で、苗場山や谷川岳は登山の山として親しまれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南魚沼郡に湯沢村・土樽村・神立村・三俣村・二居村・浅貝村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1901年11月1日明治34年南魚沼郡の浅貝村と二居村が合併して三国村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年南魚沼郡の湯沢村・三国村・三俣村・神立村・土樽村が合併して湯沢町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。