今の新発田市
新潟県北部、越後平野の北にある市です。北西は日本海の砂浜、東は飯豊山や二王子岳などの山地で、加治川などの水を引いた水田が広がります。新発田城を中心とする城下町で、昔の区割りや水路が残っています。明治から戦前は軍隊の町、戦後は県北部の商業の中心として栄えました。米どころで、酒蔵や和菓子店も多くあります。
今の新発田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で94,927人です。今の区域で数えた1980年の102,134人とくらべると7.1%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.5%です。
主な産業:稲作を中心とする農業と、酒造・和菓子などの食品関連産業が盛んです。
特産品・名産
- から寿司市の名物として挙げられる郷土の寿司
- 新発田麩まんじゅう麩とも呼ばれる下越地方の麩
- 地酒市内の蔵元で造られる日本酒
見どころ・祭り
- 新発田城溝口氏の居城。三階櫓と辰巳櫓が復元
- 清水園新発田藩の下屋敷の庭園。国の名勝
- 足軽長屋国の重要文化財の藩士の長屋
- 月岡温泉市南部の温泉地
- 五十公野公園あやめまつりが開かれる公園
木サクラ花アヤメ新発田市の木・花
新発田市のなりたち
新発田市(しばたし)は、新潟県下越地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、16の町村がありました。鴻沼村・猿橋村・松塚村・中浦村・本田村・菅谷村・川東村・五十公野村・赤谷村・松浦村・米倉村・金塚村・加治村・佐々木村・紫雲寺村・新発田町です。これらの町村が、11回の合併や編入を経て、今の新発田市になりました。
今の名前「新発田市」は、1920年にあった新発田町の名前を受け継いでいます。ほかの15の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は北蒲原郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧中浦村の区域には中浦駅(羽越本線)があります。旧五十公野村の区域には五十公野駅(赤谷線)があります。旧赤谷村の区域には赤谷駅(赤谷線)があります。旧米倉村の区域には米倉駅(赤谷線)があります。旧金塚村の区域には金塚駅(羽越本線)があります。
「新発田市」という名前
「新発田」の由来には、いくつかの説があります。荒れ地を切り開いた新田「新開発田」がなまったとする説、潟に面した「州端(すばた)」から来たとする説があります。アイヌ語で鮭のとれる所を表す「シビタ」とする説や、諏訪神社の田「諏訪田」とする説もあります。「新発田」という地名は、1454年(享徳3年)の中条房資の記録に見え、室町時代から使われていました。
まちの成り立ち
江戸時代の新発田は、1598年(慶長3年)に溝口秀勝が入ってから幕末まで、溝口氏の新発田藩の城下町でした。明治以降は阿賀野川より北の地域の中心となり、歩兵連隊が置かれた軍隊の町でもありました。
1889年(明治22年)の町村制で新発田町と新発田本村ができ、1901年(明治34年)に合併して新発田町となりました。同じ年、周りの村々も合併して五十公野村、鴻沼村、川東村、菅谷村、佐々木村、加治村などが生まれています。新発田町は1940年(昭和15年)に鴻沼村、1943年(昭和18年)に猿橋村を編入し、1947年(昭和22年)1月1日に市制を施行して新発田市となりました。
1955年(昭和30年)3月31日には五十公野村、松浦村、米倉村、赤谷村、川東村、菅谷村を編入し、1959年(昭和34年)に佐々木村を加えました。同じころ、海側では紫雲寺町、中浦村と本田村による福島村(のち豊浦村、豊浦町)、加治村と金塚村による加治川村が生まれています。平成に入ると、2003年(平成15年)7月7日に豊浦町、2005年(平成17年)5月1日に紫雲寺町と加治川村を編入しました。こうして市域は、日本海の砂浜から飯豊山の山すそまで広がりました。市街地には城下町の区割りが残り、2004年(平成16年)には新発田城の三階櫓と辰巳櫓が復元されました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北蒲原郡に新発田町・新発田本村・五十公野村・内竹村・島塚村・中井村・猿橋村・松浦村・荒川村・米倉村・赤谷村・大宮村・板津村・楠川村・石田村・蔵光村・菅谷村・佐々木村・鳥興野村・蓑島村・中浦村・天王村・荒橋村・本田村・加治村・上舘村・泉村・中川村・金塚村・紫雲寺村・大島村・松塚村・堀切村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年3月7日明治23年北蒲原郡楠川村が改称して竹ノ俣村となった。種類:改称 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1901年11月1日明治34年北蒲原郡の新発田町と新発田本村が合併して新発田町が、五十公野村と内竹村が合併して五十公野村が、島塚村と中井村が合併して鴻沼村が、松浦村と荒川村が合併して松浦村が、大宮村・板津村・竹ノ俣村・石田村が合併して川東村が、菅谷村と蔵光村が合併して菅谷村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1901年11月1日明治34年北蒲原郡の佐々木村・鳥興野村・蓑島村が合併して佐々木村が、中浦村・天王村・荒橋村が合併して中浦村が、加治村・上舘村・泉村・中川村が合併して加治村が、紫雲寺村と大島村が合併して紫雲寺村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1903年11月1日明治36年北蒲原郡堀切村が分割され、北成田・宮川など7つの大字が築地村に、弥彦岡・塩津・城塚が金塚村に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1940年8月1日昭和15年北蒲原郡鴻沼村が新発田町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1943年5月10日昭和18年北蒲原郡猿橋村が新発田町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1947年1月1日昭和22年北蒲原郡新発田町が市制を施行して新発田市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年北蒲原郡の五十公野村・松浦村・米倉村・赤谷村・川東村・菅谷村が新発田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年北蒲原郡の紫雲寺村と松塚村の一部(藤塚浜)が合併して紫雲寺町が発足し、松塚村の残り(村松浜)は築地村に編入された。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年北蒲原郡の中浦村と本田村が合併して福島村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1955年7月1日昭和30年北蒲原郡福島村が改称して豊浦村となった。種類:改称 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1955年7月20日昭和30年北蒲原郡の加治村と金塚村が合併して加治川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1955年10月20日昭和30年北蒲原郡加治川村の一部(上城塚・下城塚・塩津・弥彦岡)が中条町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1956年3月1日昭和31年北蒲原郡加治川村の一部(早道場・三日市・上小松・下小松・上舘など12の大字)が新発田市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1959年4月10日昭和34年北蒲原郡佐々木村が新発田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1973年11月1日昭和48年北蒲原郡豊浦村が町制を施行して豊浦町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 2003年7月7日平成15年北蒲原郡豊浦町が新発田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 2005年5月1日平成17年北蒲原郡の紫雲寺町と加治川村が新発田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。