今の胎内市
新潟県の北部にあり、胎内川の流域に東西に細長くのびる市です。平野部の中条地区と山あいの黒川地区の間に櫛形山脈が横たわり、胎内川がそれを横切って流れます。胎内川は扇状地をつくり、その先では湧き水が豊かで「どっこん水」と呼ばれます。平野では米やチューリップがつくられ、山あいの黒川地区ではブドウを育ててワインをつくっています。
今の胎内市の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,509人です。今の区域で数えた1980年の35,605人とくらべると19.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.1%です。
主な産業:米づくりとチューリップ・長ネギの栽培、ワインづくり、製造業が営まれています。
特産品・名産
- チューリップ桃崎浜地区などで育てられる市の花
- やわ肌ねぎ市でつくられる長ネギ
- 胎内高原ワイン黒川地区のブドウでつくるワイン
見どころ・祭り
- 乙寶寺三重塔がある古い寺
- シンクルトン記念公園黒川油田の跡の公園
- 奥山荘城館遺跡中世の館や城の跡の遺跡
木松・やまぼうし花チューリップ鳥ヤマセミ胎内市の木・花・鳥
胎内市のなりたち
胎内市(たいないし)は、新潟県下越地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。松塚村・乙村・築地村・黒川村・中条町です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の胎内市になりました。
今の名前「胎内市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は北蒲原郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧中条町の区域には中条駅(羽越本線)があります。
「胎内市」という名前
市の名前は、市を流れる胎内川に由来します。2005年(平成17年)に中条町と黒川村が合併するとき、新しい市の名前を公募したところ、「胎内市」の応募がいちばん多く、選ぶ基準にも合っていたため、この名前に決まりました。ほかの候補には「中条」や「櫛形」などがありました。胎内川は市の東の山地から平野を通って日本海に注いでいます。
まちの成り立ち
胎内市は新潟県の北部、胎内川の流域にあります。平野部の中条地区と山あいの黒川地区の間に櫛形山脈があり、市域は東西に細長く「へ」の字に曲がった形をしています。黒川地区には黒川油田の跡があり、今はシンクルトン記念公園になっています。
1889年(明治22年)の町村制で北蒲原郡に中条町や黒川村などが生まれました。1901年には中条町が柴橋村・本条村と、乙村が横田村と、黒川村が坪江村・鼓坂村と合わさっています。1903年には堀切村が分かれて、大部分が築地村に加わりました。
昭和の合併では、1955年に松塚村の村松浜が築地村に編入されました。1956年(昭和31年)9月30日には中条町と乙村が合わさって新しい中条町となり、1967年(昭和42年)1月1日には築地村が中条町に編入されました。
2005年(平成17年)9月1日、中条町と黒川村が合併して胎内市が発足しました。平野部では米やチューリップ、ネギがつくられ、黒川地区では2003年にブドウづくりが始まり、ワインがつくられています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北蒲原郡に中条町・本条村・柴橋村・築地村・堀切村・乙村・横田村・黒川村・坪江村・鼓坂村・松塚村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1901年11月1日明治34年北蒲原郡で、中条町・柴橋村・本条村が合併して中条町が、乙村と横田村で乙村が、黒川村・坪江村・鼓坂村で黒川村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1903年11月1日明治36年北蒲原郡堀切村が分割され、北成田・宮川など7つの大字が築地村に、弥彦岡・塩津・城塚が金塚村に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年北蒲原郡松塚村が分割され、藤塚浜が紫雲寺村と合併して紫雲寺町となり、村松浜が築地村に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年北蒲原郡の中条町と乙村が合併し、改めて中条町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1967年1月1日昭和42年北蒲原郡築地村が中条町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2005年9月1日平成17年北蒲原郡の中条町と黒川村が合併して胎内市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。