今の聖籠町
新潟県北部、越後平野の海ぞいにある町です。何列もの新潟砂丘が町を横切り、加治川や新発田川が流れています。弁天潟のような潟も残ります。新潟市と新発田市の間にあり、両市へ通う人が多く暮らしています。1969年に新潟東港が開港してから、港の周辺に工場が集まりました。内陸ではサクランボやブドウなどの果樹栽培が行われています。
今の聖籠町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,259人です。今の区域で数えた1980年の12,232人とくらべると16.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.2%です。
主な産業:新潟東港周辺の精密機械や食品加工などの製造業と、サクランボ・ブドウなどの果樹栽培です。
特産品・名産
- さくらんぼ初夏にさくらんぼ狩りもできる町の果物
- ぶどう秋にぶどう狩りができる
- 梨果樹の里で育つ果物の一つ
見どころ・祭り
- 弁天潟風致公園春は桜、夏はハス、冬は白鳥
- 聖籠山宝積院新発田藩主溝口氏の祈願寺。越後三十三観音の一つ
- 豪農二宮家バラの咲く時期に公開される屋敷
- 網代浜海水浴場日本海に面した海水浴場
- 聖籠観音の湯 ざぶ〜ん塩分を含む湯の日帰り温泉
木クロマツ花ハマナス聖籠町の木・花
聖籠町のなりたち
聖籠町(せいろうまち)は、新潟県下越地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。亀代村・聖籠村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の聖籠町になりました。
今の名前「聖籠町」は、1920年にあった聖籠村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の聖籠村が約22km²だったのに対し、今の聖籠町は約39km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北蒲原郡に属していました。
「聖籠町」という名前
町名は、町内にあった「聖籠山」という山の名から来ています。大同元年(806年)にこの地へ来た僧が山にこもったため、人々が高徳の僧(聖)のこもった山として「聖籠山」と呼んだと伝えられています。1889年(明治22年)の町村制で聖籠村が発足し、1906年(明治39年)と1955年(昭和30年)の合併でも名前が受けつがれました。1977年(昭和52年)8月1日に町制を施行して聖籠町となりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、今の町域には聖籠村、蓮野村、蓮潟新田、藤井村、亀代村が生まれました。蓮潟新田は1894年(明治27年)に蓮潟村と名を改めています。1906年(明治39年)には聖籠村、蓮野村、蓮潟村と藤井村の藤寄が合併して新しい聖籠村ができ、役場は大夫新田に置かれました。藤井村の笠柳と横井は、このとき木崎村(今の新潟市北区)に加わっています。
1955年(昭和30年)3月31日、聖籠村と海ぞいの亀代村が合併し、改めて聖籠村が発足しました。1977年(昭和52年)8月1日には町制を施行し、聖籠町となりました。平成の大合併では、周りの市町村と合併していません。
町は越後平野の海ぞいにあり、何列もの砂丘が町を横切っています。昭和50年代ごろまでは農業が中心でしたが、1969年(昭和44年)に工業専用の新潟東港が開港すると、港の周りに工場が進出しました。今は精密機械や食品加工の工場が並び、新潟市や新発田市に通勤する人も多く住んでいます。内陸ではサクランボやブドウ、ナシなどの果樹が育てられ、果物狩りもできます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北蒲原郡に聖籠村・蓮野村・蓮潟新田・藤井村・亀代村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1894年5月18日明治27年北蒲原郡蓮潟新田が改称して蓮潟村となった。種類:改称 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年北蒲原郡の聖籠村・蓮野村・蓮潟村と藤井村の一部(藤寄)が合併し、改めて聖籠村が発足した(藤井村の残りの笠柳・横井は木崎村に加わった)。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年北蒲原郡の聖籠村と亀代村が合併し、改めて聖籠村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1977年8月1日昭和52年北蒲原郡聖籠村が町制を施行して聖籠町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.niigata.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。