今の飯綱町
長野県の北部、上水内郡にある町です。飯縄山から東へ広がる土地で、西と南は長野市、北は信濃町、東は中野市に接します。りんごと米づくりが基幹産業で、町の花もりんごです。飯綱東高原には日帰り温泉やスキー場、ゴルフ場があり、一年を通じて観光客が訪れます。北国街道の牟礼宿の跡もあります。2005年に牟礼村と三水村が合併して生まれた町です。
今の飯綱町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,296人です。今の区域で数えた1980年の12,000人とくらべると14.2%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.6%です。
主な産業:りんごと米を中心とした農業と、飯綱東高原の観光
特産品・名産
- りんご町の基幹産業の果物
- 米りんごと並ぶ町の農産物
- レタス・キャベツ西部の高原で作られる
見どころ・祭り
- 飯綱東高原温泉やスキー場がある高原
- いいづなアップルミュージアムりんごを紹介する施設
- サンクゼール・ワイナリー町のワイナリー
- 牟礼宿北国街道の宿場
- むれ水芭蕉園水芭蕉の群生地
木さくら花りんご飯綱町の木・花
飯綱町のなりたち
飯綱町(いいづなまち)は、長野県北信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。中郷村・高岡村・三水村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の飯綱町になりました。
今の名前「飯綱町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の三水村が約36km²だったのに対し、今の飯綱町は約76km²と、およそ2.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上水内郡に属していました。
「飯綱町」という名前
飯綱町の名前は、町の西にそびえる飯縄山(飯綱山)にちなむと考えられます。2005年(平成17年)10月1日に牟礼村と三水村が合併したとき、両村から見えるこの山の名が新しい町の名前になりました。名前を選んだいきさつははっきりしていません。合併と同時に町制を施行したため、村から一気に町になりました。
まちの成り立ち
飯綱町の地域には、縄文時代のはじめごろから人が住んでいたことが、町内の遺跡からわかっています。江戸時代には北国街道が通り、牟礼宿が置かれました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、今の町域には高岡村・牟礼村・三水村が生まれました。牟礼村は翌1890年(明治23年)に中郷村と名を改めています。1955年(昭和30年)4月1日、高岡村と中郷村が合併して、再び牟礼村の名で新しい村が生まれました。1956年(昭和31年)1月1日には、三水村の土橋が隣の古間村(今の信濃町)に移りました。
2005年(平成17年)10月1日、牟礼村と三水村が合併し、同時に町制を施行して飯綱町が誕生しました。
町は長野県の北部にあり、西と南は長野市、北は信濃町、東は中野市に接しています。飯縄山から東へ広がる土地で、りんごと米づくりが町の基幹産業です。町の花もりんごで、町内にはりんごを紹介する施設もあります。飯綱東高原には日帰り温泉やスキー場、ゴルフ場があり、一年を通じて観光客が訪れます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上水内郡に地蔵久保新田村・坂口村・高坂村などの区域で高岡村、牟礼村・黒川村・小玉村・平出村などの区域で牟礼村、芋川村・普光寺村・倉井村などの区域で三水村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年5月17日明治23年牟礼村が改称して中郷村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年高岡村と中郷村が合併し、牟礼村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年1月1日昭和31年三水村の一部(芋川のうち土橋)が古間村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2005年10月1日平成17年牟礼村と三水村が合併し、飯綱町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.iizuna.nagano.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。