今の小布施町
長野県の北東部、千曲川と松川が合わさるあたりにある町で、県内で最も面積の小さい自治体です。東に雁田山がそびえ、松川の扇状地では古くから栗が育てられてきました。栗かの子や栗羊羹などの栗菓子づくりが盛んです。葛飾北斎ゆかりの地で、北斎館をはじめ多くの美術館が集まり、町並みを生かした観光地として知られます。
今の小布施町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,660人です。今の区域で数えた1980年の11,205人とくらべると4.9%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.2%です。
主な産業:栗・りんご・ぶどうの農業、栗菓子などの製菓業、観光業
特産品・名産
- 小布施栗松川の扇状地で育つ町の木の栗
- 栗菓子栗かの子・栗羊羹・栗落雁など
- りんご栗とならぶ町の農産物。町の花
見どころ・祭り
- 北斎館1976年開館。葛飾北斎の作品を展示
- 高井鴻山記念館北斎を招いた豪商高井鴻山の記念館
- 岩松院町内の主な寺院の一つ
- おぶせミュージアム・中島千波館中島千波の作品と祭り屋台を展示
- 日本のあかり博物館昔の灯火具を集めた博物館
木栗花りんご小布施町の木・花
小布施町のなりたち
小布施町(おぶせまち)は、長野県北信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。都住村・小布施村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の小布施町になりました。
今の名前「小布施町」は、1920年にあった小布施村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の小布施村が約11km²だったのに対し、今の小布施町は約19km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上高井郡に属していました。
「小布施町」という名前
町の名は、明治の町村制で生まれた小布施村から受けつがれています。小布施村は、江戸時代の小布施村など7つの村がまとまってできた村で、中心の村の名前がそのまま新しい村の名前になりました。「小布施」という地名の由来ははっきりしていません。1954年(昭和29年)の町制施行と同じ年の合併でも、この名前が受けつがれました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の町域には上高井郡の小布施村と都住村が生まれました。小布施村は小布施・福原・大島・飯田・山王島・北岡・押羽の7村が、都住村は都住・中松・雁田の3村がまとまった村です。
小布施村は1954年(昭和29年)2月に町制を施行して小布施町となりました。同じ年の11月1日には隣の都住村と合併し、改めて小布施町が発足しています。それから町の区域は変わっておらず、長野県で最も面積の小さい自治体です。
町は千曲川と松川が合わさるあたりにあり、東に雁田山がそびえます。松川の扇状地は栗づくりに向いた土地で、室町時代に栗の苗木を取り寄せて植えたという言い伝えが残ります。栗かの子や栗羊羹などの栗菓子づくりが盛んです。江戸時代の終わりには、豪商の高井鴻山が葛飾北斎や小林一茶らを招き、文化人が集う地となりました。1976年(昭和51年)に開館した北斎館や、その後の町並みの整備をきっかけに、多くの人が訪れる観光地となっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上高井郡に小布施村・福原村・大島村など7村の区域で小布施村が、都住村・中松村・雁田村の区域で都住村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年2月昭和29年小布施村が町制を施行し、小布施町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1954年11月1日昭和29年小布施町と都住村が合併し、改めて小布施町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.nagano.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。