今の信濃町
長野県の北の端、上水内郡にある高原の町です。妙高・黒姫・戸隠・飯綱・斑尾の5つの山に囲まれ、野尻湖と黒姫高原には多くの観光客が訪れます。野尻湖ではナウマンゾウの化石が見つかっています。北国街道の柏原宿は俳人の小林一茶が生まれた地で、旧宅が残ります。高原ではそばづくりも行われています。
今の信濃町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,739人です。今の区域で数えた1980年の11,857人とくらべると34.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.1%です。
主な産業:野尻湖や黒姫高原の観光と、そばなどの高原の農業
特産品・名産
- 霧下そば黒姫山のふもとで育つそば
- 凍りそば柏原に伝わるそばの保存食
見どころ・祭り
- 野尻湖ナウマンゾウの化石が出た湖
- 黒姫高原黒姫山のふもとの高原
- 小林一茶旧宅国の史跡
- 野尻湖ナウマンゾウ博物館野尻湖の発掘を紹介
- 苗名滝関川にかかる滝
木オオヤマザクラ花コスモス鳥ウグイス信濃町の木・花・鳥
信濃町のなりたち
信濃町(しなのまち)は、長野県北信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。柏原村・富士里村・信濃尻村・古間村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の信濃町になりました。
今の名前「信濃町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の信濃尻村が約61km²だったのに対し、今の信濃町は約150km²と、およそ2.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上水内郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧柏原村の区域には柏原駅(信越本線)があります。旧古間村の区域には古間駅(しなの鉄道 北しなの線)があります。
「信濃町」という名前
信濃町の名前は、1955年(昭和30年)に柏原村と富士里村が合併してできた信濃村の名を受け継いでいます。翌1956年(昭和31年)9月に信濃村・古間村・信濃尻村が合併したときも「信濃」の名が残り、信濃町となりました。「信濃」は長野県の昔の国の名前で、合併前の信濃尻村の名にも使われていました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、今の信濃町の地域には4つの村ができました。野尻村などがまとまった信濃尻村、古間村などがまとまった古間村、大井村などがまとまった富士里村、そして単独で村となった柏原村です。柏原は北国街道の宿場で、俳人の小林一茶が生まれた土地です。
4つの村は地理的にも暮らしの上でもつながりが深く、1953年(昭和28年)から町村合併促進法にもとづいて合併の話し合いを始めました。足並みがそろわなかったため、まず1955年(昭和30年)7月に柏原村と富士里村が合併して信濃村が生まれました。1956年(昭和31年)1月1日には三水村の土橋が古間村に加わり、同じ年の9月30日に信濃尻村・古間村・信濃村が合併して信濃町が発足しました。それ以来、町の区域は大きく変わっていません。
町は長野県の北の端にあり、妙高・黒姫・戸隠・飯綱・斑尾の5つの山に囲まれた高原の町です。野尻湖ではナウマンゾウの化石が見つかり、湖畔に博物館があります。小林一茶の旧宅は国の史跡に指定され、黒姫高原や野尻湖には一年を通じて多くの観光客が訪れます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上水内郡に野尻村・古海村・熊坂村の区域で信濃尻村、古間村・荒瀬原村・富濃村の区域で古間村、大井村・穂波村・平岡村の区域で富士里村が発足し、柏原村が単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年7月1日昭和30年柏原村と富士里村が合併し、信濃村が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.shinano.lg.jp
- 1956年1月1日昭和31年三水村の一部(芋川のうち土橋)が古間村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年信濃村・古間村・信濃尻村が合併し、信濃町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.shinano.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。