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鹿屋市かのやし

1920年には8の町村だった区域が、4回の合併・編入を経て、今の鹿屋市になりました。

8町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の鹿屋市

今の鹿屋市の区域の人口は、2020年の国勢調査で101,096人です。今の区域で数えた1980年の100,005人とくらべると1.1%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.0%です。

101,096人人口(2020年)
+1.1%1980年からの増減
448.15km²面積(国土地理院)
226人/km²人口密度
30.0%65歳以上の割合
106,4621980199020052020
15歳未満 15.2%15〜64歳 54.8%65歳以上 30.0%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

鹿屋市のなりたち

鹿屋市(かのやし)は、鹿児島県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。花岡村・大姶良村・高隈村・市成村・百引村・西串良村・姶良村・鹿屋町です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の鹿屋市になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1932年(昭和7年)5月15日に西串良村が町になり、串良町となりました(町制施行)。1941年(昭和16年)5月27日に花岡村・大姶良村が合わさって、鹿屋市が生まれました。1941年(昭和16年)5月27日に鹿屋町が市になり、鹿屋市となりました(市制施行)。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1947年(昭和22年)10月15日に姶良村が町になり、吾平町となりました(町制施行)。1955年(昭和30年)1月20日に高隈村が、鹿屋市に入りました(編入)。1956年(昭和31年)4月1日に市成村・百引村が合わさって、輝北町が生まれました。この時期だけで3回の変化があり、町村の数は大きく減りました。

1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2006年(平成18年)1月1日に串良町・吾平町・輝北町が合わさって、鹿屋市が生まれました。

今の名前「鹿屋市」は、1920年にあった鹿屋町の名前を受け継いでいます。ほかの7の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の鹿屋町が約61km²だったのに対し、今の鹿屋市は約425km²と、およそ7.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は囎唹郡・曽於郡・肝属郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧姶良村の区域には姶良駅(大隅線)があります。

81920年の町村の数
4回合併・編入の回数
448km²今の面積
2006年いちばん新しい合併

年表

  1. 1932年5月15日昭和7年西串良村が町になり、串良町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1941年5月27日昭和16年花岡村・大姶良村が合わさって、鹿屋市が生まれた出典:wiki
  3. 1941年5月27日昭和16年鹿屋町が市になり、鹿屋市となった(市制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  4. 1947年10月15日昭和22年姶良村が町になり、吾平町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  5. 1955年1月20日昭和30年高隈村が、鹿屋市に入った(編入)出典:wiki
  6. 1956年4月1日昭和31年市成村・百引村が合わさって、輝北町が生まれた出典:wiki
  7. 2006年1月1日平成18年串良町・吾平町・輝北町が合わさって、鹿屋市が生まれたe-Stat「鹿屋市(46203)、輝北町(46462)、串良町(46481)、吾平町(46485)が合併し、鹿屋市を新設」

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

鹿屋町→鹿屋市1889〜今
西串良村→串良町1889〜2006
姶良村→吾平町1889〜2006同じ名前の駅:姶良駅
輝北町1956〜2006
市成村1889〜1956
百引村1889〜1956
高隈村1889〜1955
花岡村1889〜1941
大姶良村1889〜1941