今の軽米町
岩手県北部、九戸郡にある町です。北上山地の北端に位置し、雪谷川や瀬月内川が流れます。北は青森県の八戸市、三戸郡南部町、階上町と接し、岩手県側は二戸市、久慈市、洋野町、九戸村と隣り合います。県境に近い山あいの町で、雑穀やサルナシ、黒毛和牛、木炭などが特産品として紹介されています。町内には晴山館址などの城跡が残り、九戸政実の乱にまつわる歴史を伝えています。
今の軽米町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,421人です。今の区域で数えた1980年の13,768人とくらべると38.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.8%です。
主な産業:雑穀やサルナシの栽培、黒毛和牛などの畜産、木炭の生産が行われています。
特産品・名産
- 雑穀アワ・ヒエ・キビなどの穀物
- さるなしドリンクやジャムなどに加工
- 軽米黒毛和牛町の公式サイトに載る和牛肉
見どころ・祭り
- 晴山館址晴山地区にある城跡
- 乃木将軍愛馬雷号の墓西里の駒形神社にある
- 町歴史民俗資料館町の歴史を伝える資料館
木イチイ花こぶし鳥ヤマドリ軽米町の木・花・鳥
軽米町のなりたち
軽米町(かるまいまち)は、岩手県県北の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。晴山村・小軽米村・軽米村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の軽米町になりました。
今の名前「軽米町」は、1920年にあった軽米村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の軽米村が約104km²だったのに対し、今の軽米町は約260km²と、およそ2.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は九戸郡に属していました。
「軽米町」という名前
軽米という地名の由来は、はっきりしていません。アイヌ語に由来する地名とする説があります。1889年(明治22年)の町村制で生まれた軽米村が、1925年(大正14年)に町制を施行して軽米町となりました。1955年(昭和30年)に周りの小軽米村・晴山村と合併したときも軽米町の名前が引きつがれ、今の町名になっています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、北九戸郡に軽米村・小軽米村・晴山村の三つの村が生まれました。1897年(明治30年)には北九戸郡と南九戸郡がまとまって九戸郡となり、三つの村は九戸郡に属しました。
1923年(大正12年)4月には軽米村で大火があり、多くの家が焼けました。1925年(大正14年)1月1日、軽米村は町制を施行して軽米町になりました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)1月1日に軽米町・小軽米村・晴山村が合併し、改めて軽米町が発足しました。同じ日に、旧軽米町の上館の一部が隣の大野村に移りました。同じ年の7月1日には、反対に大野村の一部が軽米町に加わっています。その後は大きな合併はなく、今の町の形が続いています。
1999年(平成11年)10月には、発達した低気圧による集中豪雨で雪谷川があふれ、住宅や田畑に大きな被害が出ました。晴山には、九戸政実の乱で九戸方についた晴山治部少輔の居城とされる晴山館の跡が残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北九戸郡に軽米村・小軽米村・晴山村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年北九戸郡と南九戸郡が統合されて九戸郡となり、軽米村・小軽米村・晴山村は九戸郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1925年1月1日大正14年九戸郡軽米村が町制を施行し、軽米町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年九戸郡軽米町の一部(上館の一部)が九戸郡大野村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年九戸郡の軽米町・小軽米村・晴山村が合併し、改めて軽米町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年7月1日昭和30年九戸郡大野村の一部が軽米町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。