今の陸前高田市
岩手県南東部の太平洋に面した市です。三陸海岸の南部にあり、西の唐桑半島と東の広田半島に挟まれた広田湾の奥に、中心部の平野が広がります。気仙川が市街地へ注ぎ、背後には氷上山などの山が迫ります。南は宮城県気仙沼市と県境を接します。リンゴやユズの栽培、広田湾の養殖が行われ、東日本大震災からの復興が進められています。
今の陸前高田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で18,262人です。今の区域で数えた1980年の29,356人とくらべると37.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.4%です。
主な産業:広田湾の養殖漁業と、リンゴ・ユズなどの農業が営まれています。
特産品・名産
- 米崎りんご三陸沿岸では数少ないリンゴの産地
- 北限のユズユズの産地
- 広田湾のカキ・ワカメ広田湾の養殖
見どころ・祭り
- 高田松原日本の渚百選
- 奇跡の一本松津波に耐えた松の震災遺構
- 氷上神社気仙総鎮守
- 気仙隕石日本最大の石質隕石
木すぎ花つばき鳥かもめ陸前高田市の木・花・鳥
陸前高田市のなりたち
陸前高田市(りくぜんたかたし)は、岩手県沿岸の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。矢作村・横田村・竹駒村・米崎村・高田町・気仙村・小友村・広田村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の陸前高田市になりました。
今の名前「陸前高田市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の矢作村が約113km²だったのに対し、今の陸前高田市は約242km²と、およそ2.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は気仙郡に属していました。
「陸前高田市」という名前
陸前高田という市名は、合併の中心となった高田町の名に、旧国名の「陸前」をつけたものと考えられます。1955年(昭和30年)に気仙郡の3町5村が合併して市になったとき、この名が選ばれました。地元では「たがだ」と、なまって呼ばれることもあります。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、気仙郡に高田町と、気仙村・広田村・小友村・米崎村・矢作村・竹駒村・横田村が生まれました。1926年(大正15年)に気仙村が町になって気仙町となり、1952年(昭和27年)6月1日には広田村も町制を施行して広田町になりました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)1月1日に高田町・気仙町・広田町・小友村・竹駒村・矢作村・横田村・米崎村が合併し、陸前高田市が発足しました。
市の中心部は、気仙川がつくった平野と高田松原の後ろに広がっていました。2011年(平成23年)の東日本大震災では、津波で中心市街地がほぼすべて失われ、高田松原の松もほとんどが流されました。津波に耐えて残った一本の松は「奇跡の一本松」と呼ばれ、震災を伝える遺構として保存されています。市は土地のかさ上げや高台への移転を進め、まちの再建に取り組んでいます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、気仙郡に高田町と気仙村・広田村・小友村・米崎村・矢作村・竹駒村・横田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1926年11月1日大正15年気仙郡気仙村が町制を施行し、気仙町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1952年6月1日昭和27年気仙郡広田村が町制を施行し、広田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年気仙郡の高田町・気仙町・広田町・小友村・竹駒村・矢作村・横田村・米崎村が合併し、市制を施行して陸前高田市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。