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加古川市かこがわし

1920年には17の町村だった区域が、7回の合併・編入を経て、今の加古川市になりました。

17町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の加古川市

兵庫県南部の東播磨地域にあり、加古川の下流両岸に広がる市です。南部には鉄鋼工場などが集まる臨海工業地帯と市街地があり、北部には田園や丘陵が広がります。JR加古川駅で山陽本線と加古川線が交わり、内陸の北播磨へ向かう交通の結節点にもなっています。鶴林寺などの古い寺院や、河川敷の開けた風景も身近にあるまちです。

今の加古川市の区域の人口は、2020年の国勢調査で260,878人です。今の区域で数えた1980年の212,233人とくらべると22.9%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.1%です。

260,878人人口(2020年)
+22.9%1980年からの増減
138.48km²面積(国土地理院)
1,884人/km²人口密度
28.1%65歳以上の割合
267,4351980199020052020
15歳未満 12.8%15〜64歳 59.1%65歳以上 28.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:鉄鋼業を中心とする臨海工業に加え、靴下・建具製造や食肉産業が営まれています。

特産品・名産

  • 加古川靴下地域の地場産業が生む靴下
  • 志方牛志方の食肉産業にゆかりのある牛肉
  • 木工品・建具地場の建具製造業による製品

見どころ・祭り

  • 鶴林寺聖徳太子の創建と伝えられる寺院
  • 高御位山高砂市との境にそびえる山
  • 加古川市域を流れ播磨灘に注ぐ一級河川

木くろまつ花つつじ加古川市の木・花

加古川市のなりたち

加古川市(かこがわし)は、兵庫県東播磨地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、17の町村がありました。鳩里村・氷丘村・神野村・野口村・尾上村・平岡村・別府村・東志方村・西志方村・平荘村・上荘村・八幡村・西神吉村・東神吉村・米田村・志方村・加古川町です。これらの町村が、7回の合併や編入を経て、今の加古川市になりました。

今の名前「加古川市」は、1920年にあった加古川町の名前を受け継いでいます。ほかの16の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

1920年の時点で、この区域の町村は加古郡・印南郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、印南郡は1979年(昭和54年)2月1日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧神野村の区域には神野駅(加古川線)があります。旧野口村の区域には野口駅(高砂線)があります。旧尾上村の区域には尾上駅(高砂線)があります。

171920年の町村の数
7回合併・編入の回数
138km²今の面積
1979年いちばん新しい合併

「加古川市」という名前

市名は、市域を流れて播磨灘に注ぐ加古川に由来します。1950年に加古川町と周辺の4村が合併した際、中心となる町の名を引き継いで加古川市が生まれました。川の水や舟運に支えられてきた地域で、市章も川とその両岸に広がるまちを表しています。川の名は、現在の市の象徴にもなっています。

まちの成り立ち

1889年4月1日の町村制で、加古川町や神野村などが加古郡に、平荘村や志方村などが印南郡に発足しました。加古川町は1929年に鳩里村、1937年に氷丘村を編入して市街地の周辺をまとめました。1950年6月15日、加古川町・神野村・野口村・平岡村・尾上村の1町4村が合併し、加古川市が誕生します。翌1951年には別府町が加わりました。

昭和の大合併では、1955年に加古郡八幡村と印南郡平荘村・上荘村を編入しました。さらに1956年には東神吉村・西神吉村と、米田町の船頭・平津が加わります。このとき米田町の残る区域は高砂市に編入されました。加古川をはさんで広がる市域は、こうして段階的に形づくられています。

北西部では1954年、志方村・東志方村・西志方村の合併で志方町が生まれました。1979年2月1日に志方町が加古川市へ編入され、印南郡は消滅しました。現在も平岡町、尾上町、志方町などの地名に、合併前の地域の名が受け継がれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、加古郡に加古川町・氷丘村・神野村・八幡村・野口村・平岡村・別府村・尾上村・鳩里村が発足した。種類:町村制 出典:www.sichouyouran.jp
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、印南郡に米田村・東神吉村・西神吉村・平荘村・上荘村・志方村・東志方村・西志方村が発足した。種類:町村制 出典:www.sichouyouran.jp
  3. 1928年11月10日昭和3年印南郡米田村が町制を施行し、米田町となった。種類:町制施行 出典:www.sichouyouran.jp
  4. 1928年11月15日昭和3年加古郡別府村が町制を施行し、別府町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1929年3月20日昭和4年加古郡鳩里村が同郡加古川町に編入された。種類:編入 出典:www.sichouyouran.jp
  6. 1937年3月15日昭和12年加古郡氷丘村が同郡加古川町に編入された。種類:編入 出典:www.sichouyouran.jp
  7. 1950年6月15日昭和25年加古郡の加古川町・神野村・野口村・平岡村・尾上村が合併し、加古川市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  8. 1951年10月1日昭和26年加古郡別府町が加古川市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  9. 1954年8月1日昭和29年印南郡の志方村・東志方村・西志方村が合併し、志方町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  10. 1955年4月1日昭和30年加古郡八幡村と印南郡の平荘村・上荘村が加古川市に編入された。種類:編入 出典:www.sichouyouran.jp
  11. 1956年9月30日昭和31年印南郡の東神吉村・西神吉村と米田町の一部(船頭・平津)が加古川市に編入され、米田町の残部(米田・米田新・古新・塩市・島・神爪)は高砂市に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
  12. 1979年2月1日昭和54年印南郡志方町が加古川市に編入され、印南郡が消滅した。種類:編入 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

加古川町→加古川市1889〜今
志方村→志方町1889〜1979
東志方村1889〜1954
西志方村1889〜1954
西神吉村1889〜1956
東神吉村1889〜1956
米田村→米田町1889〜1956
平荘村1889〜1955
上荘村1889〜1955
八幡村1889〜1955
別府村→別府町1889〜1951
神野村1889〜1950同じ名前の駅:神野駅
野口村1889〜1950同じ名前の駅:野口駅
尾上村1889〜1950同じ名前の駅:尾上駅
平岡村1889〜1950
氷丘村1889〜1937
鳩里村1889〜1929

参考にした資料