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播磨町はりまちょう

播磨町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の播磨町

兵庫県南部の東播磨地域にあり、南は播磨灘に面する町です。喜瀬川の流域に市街地が広がり、海岸の人工島には機械・化学などの工場が集まります。JR土山駅と山陽電鉄播磨町駅が周囲の都市との移動を支えています。大中遺跡や県立考古博物館があり、古代の集落と現代の暮らしが近接しています。海辺には漁港もあり、漁業が受け継がれています。

今の播磨町の区域の人口は、2020年の国勢調査で33,604人です。今の区域で数えた1980年の26,527人とくらべると26.7%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は27.5%です。

33,604人人口(2020年)
+26.7%1980年からの増減
9.13km²面積(国土地理院)
3,681人/km²人口密度
27.5%65歳以上の割合
33,7661980199020052020
15歳未満 14.4%15〜64歳 58.1%65歳以上 27.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:海岸の人工島で機械・化学などの製造業が営まれ、沿岸では漁業も行われています。

特産品・名産

  • 海苔播磨町の沿岸で生産される水産物
  • アナゴ地元の漁業で扱われる魚
  • タコ播磨灘でとれる水産物

見どころ・祭り

  • 大中遺跡弥生時代の集落跡で国指定史跡
  • 兵庫県立考古博物館大中遺跡に隣接する考古学の博物館
  • であいのみち歴史に触れる散策路

木松花菊播磨町の木・花

播磨町のなりたち

播磨町(はりまちょう)は、兵庫県東播磨地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに阿閇村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は加古郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
9km²今の面積

「播磨町」という名前

町名は、旧国名の播磨国や播州地方に使われる広い地域の名から取られました。1962年に阿閇村が町制を施行する際、今後の大きな発展への願いを込めて「播磨町」と名づけられました。町章にも「ハリマ」の文字が組み込まれ、港を表す形が添えられています。海とともに発展する町の姿を、新しい名前と町章に託しています。

まちの成り立ち

播磨町の前身は、加古郡阿閇村です。1889年4月1日の町村制で、大中村・古宮村・野添村・二子村・古田村・本庄村・宮西村の7村の区域をまとめて発足しました。海辺では漁業が営まれ、内陸では農地が広がる地域でした。1923年には神戸姫路電気鉄道が開通し、本荘駅が置かれました。この駅は現在の山陽電鉄播磨町駅につながっています。

昭和の大合併期には、明石市や加古川市との合併をめぐって村内の意見が分かれました。その後、単独で町制を施行する道を選び、1962年4月1日に阿閇村は播磨町となりました。兵庫県で最後まで残っていた村が町になったことで、県内の自治体は市と町だけになりました。町名には、播磨地方の一角として大きく発展していく願いが込められています。

町制後は海岸の埋め立てが進み、人工島に機械や化学などの工場が集まりました。一方、大中遺跡は弥生時代の集落の姿を伝える場所として保存されています。古宮や二子、野添などの地名は現在も使われています。古くからの村々と漁港、住宅地、海の工業地帯が、コンパクトな町域に重なっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、加古郡の大中村・古宮村・野添村・二子村・古田村・本庄村・宮西村の区域をもって阿閇村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1962年4月1日昭和37年加古郡阿閇村が町制を施行するとともに改称し、播磨町となった。種類:町制施行 出典:www.town.harima.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

阿閇村→播磨町1889〜今

参考にした資料