今の邑楽町
群馬県東南部、館林市の西側に広がる町です。北は栃木県足利市に接し、多々良沼や平地林、田畑の間に集落や住宅地が広がります。農業では米麦や白菜・なすなどを生産し、工業団地には自動車や電気機器関連の企業が集まります。冬に白鳥が訪れる多々良沼公園や森林公園おうらの森があり、中央公園周辺には役場や公民館、シンボルタワーが集まる町です。
今の邑楽町の区域の人口は、2020年の国勢調査で25,522人です。今の区域で数えた1980年の21,869人とくらべると16.7%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は32.5%です。
主な産業:自動車・電気機器関連の製造業と、米麦・白菜・なすなどの農業が盛んです。
特産品・名産
- 秋冬白菜
- 夏秋なす
- いちご
見どころ・祭り
- 多々良沼公園桜・藤・白鳥の風景
- 永明寺のキンモクセイ国指定天然記念物
- 神光寺の大カヤ県指定天然記念物
- シンボルタワー未来MiRAi町のシンボルタワー
木アカマツ花ヤマツツジ邑楽町の木・花
邑楽町のなりたち
邑楽町(おうらまち)は、群馬県東部地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。高島村・中野村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の邑楽町になりました。
今の名前「邑楽町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の中野村が約10km²だったのに対し、今の邑楽町は約31km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は邑楽郡に属していました。
「邑楽町」という名前
「邑楽」の町名は、町が属する邑楽郡と共通する名です。1955年(昭和30年)に中野村と高島村が合併した際は、中島村という名でした。翌年に旧長柄村の区域が加わり、1957年(昭和32年)1月1日に邑楽村へ改称しています。1968年(昭和43年)4月1日に町制を施行した際にも邑楽の名を引き継ぎ、現在の邑楽町になりました。
まちの成り立ち
邑楽町は多々良沼や平地林、田畑が広がる地域です。松本古墳群や長柄神社、永明寺や神光寺などが地域の歴史を伝えています。天王元宿祇園祭りや長柄神社の里神楽が受け継がれ、中野絣にはかつての織物づくりの暮らしが残ります。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、現在の町域には邑楽郡中野村・高島村・長柄村が発足しました。1955年(昭和30年)3月1日、中野村と高島村が新設合併して中島村となります。長柄村は同月31日に永楽村・富永村と合併して千代田村に入りましたが、1956年(昭和31年)9月30日に旧長柄村の赤堀・狸塚・篠塚が中島村へ移りました。1957年(昭和32年)1月1日、中島村は邑楽村へ改称し、1968年(昭和43年)4月1日に町制を施行して邑楽町となっています。
工業団地の造成により自動車関連や電気機器関連の企業が集まり、住宅地も広がりました。農業では米麦に加え、白菜・なす・キャベツ・いちごなどを生産しています。多々良沼には冬に白鳥が訪れ、公園の桜や藤も人々を迎えます。中央公園周辺には役場や公民館が集まり、農業と工業、平地林や沼の自然が重なる町になっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、邑楽郡中野村・高島村・長柄村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1955年3月1日昭和30年邑楽郡中野村と高島村が新設合併し、中島村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1955年3月31日昭和30年邑楽郡長柄村が永楽村・富永村と新設合併し、千代田村となった。旧長柄村区域は翌年中島村へ移った。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1956年9月30日昭和31年邑楽郡千代田村の大字赤堀・狸塚・篠塚(旧長柄村の区域)が中島村へ移った。種類:一部編入 出典:www.pref.gunma.jp
- 1957年1月1日昭和32年邑楽郡中島村が邑楽村へ改称した。種類:改称 出典:www.pref.gunma.jp
- 1968年4月1日昭和43年邑楽郡邑楽村が町制を施行し、邑楽町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.gunma.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。