今の東吾妻町
群馬県北西部、吾妻郡の東南部に広がる町です。中央を吾妻川が流れ、周囲には岩櫃山や浅間隠山などの山々が連なります。原町には商店や公共施設が集まり、谷や山間には農地と集落が続きます。吾妻渓谷や箱島湧水などの水辺、真田氏ゆかりの岩櫃城跡があり、温泉も点在します。こんにゃくいもなどの農業と商業、自然や史跡を生かした観光が営まれる町です。
今の東吾妻町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,728人です。今の区域で数えた1980年の17,195人とくらべると26.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.3%です。
主な産業:こんにゃくいもや畜産・野菜などの農業と商業、温泉や自然・史跡の観光が営まれています。
特産品・名産
- こんにゃく
- イチゴ
- りんご
見どころ・祭り
- 吾妻渓谷吾妻川がつくる渓谷
- 岩櫃城跡斎藤氏・真田氏ゆかりの城跡
- 箱島湧水日本名水百選
- 浅間隠山町を囲む山の一つ
木ケヤキ花スイセン鳥キジ東吾妻町の木・花・鳥
東吾妻町のなりたち
東吾妻町(ひがしあがつままち)は、群馬県吾妻地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。岩島村・太田村・坂上村・原町・東村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の東吾妻町になりました。
今の名前「東吾妻町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の坂上村が約106km²だったのに対し、今の東吾妻町は約255km²と、およそ2.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は吾妻郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧岩島村の区域には岩島駅(吾妻線)があります。
「東吾妻町」という名前
「東吾妻町」の名は、2006年(平成18年)3月27日に吾妻町と東村が新設合併して生まれました。町は吾妻郡の東南部にあり、旧吾妻町の中心地は原町と呼ばれます。原町は1955年に周囲の三村と新設合併し、翌1956年に吾妻町へ改称しました。その吾妻町と東村が一つになり、現在の東吾妻町の名が使われるようになっています。
まちの成り立ち
東吾妻町は吾妻川の谷と周囲の山地に広がり、古代から人々が暮らした遺跡や古墳が残ります。金井廃寺跡は吾妻地方の古代寺院を伝え、中世には岩櫃城が地域の拠点となりました。岩櫃城は斎藤氏の城から真田氏の支配へ移り、吾妻地方と利根地方をつなぐ重要な城となりました。江戸時代には原町が市場町として発展し、山間の村々では農林業や養蚕が営まれました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、現在の町域には吾妻郡原町・太田村・岩島村・坂上村・東村が発足しました。1955年(昭和30年)3月1日、原町と太田・岩島・坂上の三村が新設合併して、改めて原町となります。1956年(昭和31年)2月1日には吾妻町へ改称しました。東村は独立した村として歩み、2006年(平成18年)3月27日に吾妻町と新設合併して東吾妻町が誕生しています。
吾妻川が岩を削った吾妻渓谷や、箱島湧水、岩櫃山など、山と水の景色に恵まれています。農業ではこんにゃくいもや米、野菜などが育てられ、畜産や商業も地域の暮らしを支えています。温泉やキャンプ場、岩櫃城跡などの史跡を結ぶ観光が育ち、川沿いの中心地と山間の集落がそれぞれの景観を保っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、吾妻郡原町・太田村・岩島村・坂上村・東村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1955年3月1日昭和30年吾妻郡原町・太田村・岩島村・坂上村が新設合併し、改めて原町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1956年2月1日昭和31年吾妻郡原町が吾妻町へ改称した。種類:改称 出典:www.pref.gunma.jp
- 2006年3月27日平成18年吾妻郡吾妻町と東村が新設合併し、東吾妻町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。