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長野原町ながのはらまち

長野原町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の長野原町

群馬県北西部、吾妻川沿いの谷と浅間山北麓の高原に広がる町です。北部には川沿いの集落と八ッ場あがつま湖があり、南部の応桑・北軽井沢には高原野菜の畑や牧場、別荘地が広がります。草津温泉や軽井沢へ向かう交通の要地でもあります。川原湯温泉や八ッ場ダム、浅間牧場、旧草軽電鉄の駅舎など、温泉と水辺、高原の風景と交通の歴史を楽しめる町です。

今の長野原町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,095人です。今の区域で数えた1980年の7,237人とくらべると29.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.5%です。

5,095人人口(2020年)
−29.6%1980年からの増減
133.85km²面積(国土地理院)
38人/km²人口密度
39.5%65歳以上の割合
7,2371980199020052020
15歳未満 8.6%15〜64歳 51.9%65歳以上 39.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:高原野菜の栽培や酪農と、川原湯温泉・浅間高原・八ッ場ダム周辺の観光が中心です。

特産品・名産

  • 花いんげん
  • キャベツ
  • とうもろこし

見どころ・祭り

  • 八ッ場ダム八ッ場あがつま湖をつくるダム
  • 川原湯温泉湯かけ祭りが伝わる温泉
  • 浅間牧場浅間高原の牧場
  • 旧草軽電鉄北軽井沢駅舎国登録有形文化財

木からまつ花むらさきつつじ鳥やまどり長野原町の木・花・鳥

長野原町のなりたち

長野原町(ながのはらまち)は、群馬県吾妻地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに長野原町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は吾妻郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
134km²今の面積

「長野原町」という名前

「長野原」は、吾妻川沿いの中心地に受け継がれてきた地名です。1889年(明治22年)の町村制施行で、長野原町と周囲の九村が合併し、新しい長野原町が発足しました。中心地の名が、川原湯や羽根尾、応桑などを含む自治体全体の名となっています。その後も町名を変えず、吾妻川の谷と浅間山北麓の高原という異なる景色をもつ町として歩んできました。

まちの成り立ち

長野原町では縄文時代早期から人々が暮らし、吾妻川の流域と浅間山北麓に遺跡が残っています。中世には羽尾氏や真田氏に関わる城が築かれ、江戸時代には草津・川原湯への湯治客や善光寺参詣の人々が行き交う交通の要地になりました。狩宿には関所が置かれ、吾妻川沿いの宿場と高原を越える道が上州と信州を結びました。

1889年(明治22年)4月1日の町村制で、長野原町と周辺九村が合併し、吾妻郡長野原町が発足します。昭和の大合併でも町域を大きくまとめ直す合併は行われませんでした。2004年(平成16年)には西吾妻の四町村で合併協議会が設けられましたが、同年に解散し、町は単独の自治体として歩みを続けています。

浅間山北麓では高原野菜や酪農が育ち、北軽井沢は別荘や観光の地域となりました。旧草軽電鉄北軽井沢駅舎は高原の交通を支えた歴史を残しています。一方、吾妻川沿いでは長年にわたる八ッ場ダム建設に伴い、集落や川原湯温泉が移転しました。2020年にダムが完成して八ッ場あがつま湖が生まれ、湖畔の施設や湯かけ祭りを続ける温泉と、浅間高原の観光・農業が町を支えています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、長野原町と周辺九村が合併し、吾妻郡長野原町が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
  2. 2004年10月平成16年同年4月に設置された西吾妻四町村の合併協議会が解散し、長野原町は単独の自治体として歩むこととなった。種類:その他 出典:www.town.naganohara.gunma.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

長野原町1889〜今

参考にした資料