今の草津町
群馬県北西部、草津白根山の東麓にある温泉の町です。山林に囲まれた高地に湯畑を中心とする温泉街が広がり、宿や商店、共同浴場が集まります。豊富な湯を生かして古くから湯治客を迎え、湯もみなど独特の温泉文化が育ちました。西の河原や地蔵周辺にも温泉を楽しむ場所があり、山の自然や音楽の催しにも親しめます。宿泊・飲食・観光サービスが町の暮らしを支えています。
今の草津町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,049人です。今の区域で数えた1980年の9,341人とくらべると35.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.4%です。
主な産業:温泉を中心とする観光・宿泊・飲食などのサービス業が主な産業です。
特産品・名産
- 花いんげん
- 温泉まんじゅう
- 草津温泉クッキー
見どころ・祭り
- 湯畑温泉街の中心に湧く源泉
- 西の河原露天風呂のある温泉地
- 熱乃湯湯もみと踊りの施設
- ベルツ記念館草津を訪れた医師の記念館
花シャクナゲ草津町の花
草津町のなりたち
草津町(くさつまち)は、群馬県吾妻地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに草津町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は吾妻郡に属していました。
「草津町」という名前
「草津」の地名は、温泉のにおいを表す「臭水(くさふづ)」から転じたといわれます。硫化水素のにおいをもつ湯が湧くことが、温泉地の名に結びついたという説です。1889年(明治22年)には周辺を含む草津村が発足しましたが、1900年(明治33年)に草津町と六合村へ分割されました。このとき温泉街を含む草津と前口の区域が草津町になっています。
まちの成り立ち
草津は古くから湯治の地として発展した温泉の町です。湯畑を中心に宿や商店が集まり、熱い湯を扱う湯もみや、時間を区切って入浴する伝統が育ちました。1717年には八代将軍徳川吉宗が草津の湯を江戸城へ運ばせて入浴したと伝えられます。1878年にはドイツ人医師ベルツが初めて草津を訪れ、ベルツの記念碑や記念館がそのつながりを伝えています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、草津・前口と、現在は中之条町の六合地区に属する赤岩・小雨・生須・太子・日影・入山を合わせて、吾妻郡草津村が発足しました。1900年(明治33年)7月1日、草津村は二つに分割され、草津と前口の区域が草津町、残る六つの大字が六合村となりました。草津町はその後も独立した町として歩み、六合村は2010年に中之条町へ編入されています。
山林と温泉街が町の大部分を占め、観光と宿泊・飲食などのサービス業が地域を支えています。熱乃湯では湯もみの文化が受け継がれ、西の河原や地蔵などの源泉を生かした入浴施設が整いました。夏には温泉感謝祭や国際音楽の催しが行われ、温泉まんじゅうや花いんげんの菓子も来訪者に親しまれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、草津・前口・赤岩・小雨・生須・太子・日影・入山を合わせ、吾妻郡草津村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1900年7月1日明治33年吾妻郡草津村を分割し、草津・前口を草津町、赤岩・小雨・生須・太子・日影・入山を六合村とした。種類:分割 出典:www.pref.gunma.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。