今の嬬恋村
群馬県の最西端、浅間山・四阿山・白根山などに囲まれた高原の村です。西・南・北の三方で長野県と接し、中央を吾妻川が流れます。冷涼な気候と火山灰の土壌を生かしたキャベツ畑が広がり、高原野菜の産地として知られます。浅間高原の別荘地や万座・鹿沢の温泉、鎌原観音堂など自然と歴史の見どころがあり、村名にちなむ愛妻の丘も高原の景色を望む場所です。
今の嬬恋村の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,850人です。今の区域で数えた1980年の10,737人とくらべると17.6%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.2%です。
主な産業:キャベツを中心とする高原野菜の栽培と、温泉や高原・山岳の観光が中心です。
特産品・名産
- キャベツ
- とうもろこし
- じゃがいも
見どころ・祭り
- 鎌原観音堂浅間山噴火の記憶を伝える堂
- 大笹関所跡上州と信州を結ぶ街道の関所跡
- 愛妻の丘愛妻の村の眺望スポット
- 湯の丸レンゲツツジ群落国指定天然記念物
木シラカバ花リンドウ嬬恋村の木・花
嬬恋村のなりたち
嬬恋村(つまごいむら)は、群馬県吾妻地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに嬬恋村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は吾妻郡に属していました。
「嬬恋村」という名前
村名は、日本武尊が亡き妻の弟橘媛をしのんだという伝説にちなみます。東征の帰路、碓日坂に立った日本武尊が妻を恋しく思って嘆いたという故事から、1889年(明治22年)の村の発足時に嬬恋村と名づけられました。村では碓日坂を現在の鳥居峠に重ねています。この伝承は愛妻の村という地域づくりにも受け継がれ、愛妻の丘などに結びついています。
まちの成り立ち
嬬恋村の各地には縄文時代の石器や土器が残り、関東と中部高地の文化が交わる地域として人々が暮らしていました。中世には海野氏の一族や鎌原氏が治め、戦国時代には真田氏の領地となります。江戸時代には真田氏の沼田藩領を経て、1681年の改易後は幕府直轄領となりました。上州と信州を結ぶ街道には宿場が整えられ、大笹に関所が置かれました。
1783年(天明3年)の浅間山噴火では、北麓を流れ下った土石なだれが鎌原村などに大きな被害をもたらしました。鎌原観音堂や天明三年浅間やけ遺跡は、この災害の記憶を伝えています。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、田代・大笹・干俣・大前・門貝・西窪・鎌原・芦生田・今井・袋倉・三原の十一村が合併し、吾妻郡嬬恋村が誕生しました。その後も他の市町村と合併せず、村名と村の区域を受け継いでいます。
冷涼な高原では野菜づくりが発達し、キャベツの大産地になりました。吾妻川沿いの集落の周囲から山麓へ畑が広がり、浅間高原では別荘地や観光施設も育っています。浅間山・四阿山・白根山などの山々、万座や鹿沢の温泉があり、高原農業と山岳・温泉観光が村の暮らしを支えています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、田代・大笹・干俣・大前・門貝・西窪・鎌原・芦生田・今井・袋倉・三原の十一村が合併し、吾妻郡嬬恋村が発足した。種類:町村制 出典:www.vill.tsumagoi.gunma.jp
- 1980年4月21日昭和55年嬬恋村が村民憲章を制定した。種類:その他 出典:www.vill.tsumagoi.gunma.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。