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高山村たかやまむら

高山村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の高山村

群馬県北西部、山々に囲まれた中山盆地と名久田川沿いの尻高地区からなる村です。かつて三国街道の宿場として栄え、平形家住宅門屋や尻高人形芝居などの歴史と文化が残ります。農業では米やきゅうり、りんどうなどが育てられています。道の駅中山盆地や温泉、ロックハート城、県立ぐんま天文台があり、田園の風景と山間の自然、星空に親しめる村です。

今の高山村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,511人です。今の区域で数えた1980年の4,788人とくらべると26.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.0%です。

3,511人人口(2020年)
−26.7%1980年からの増減
64.18km²面積(国土地理院)
55人/km²人口密度
37.0%65歳以上の割合
4,7881980199020052020
15歳未満 10.1%15〜64歳 52.9%65歳以上 37.0%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:米・野菜・りんどうなどの農業と、道の駅や温泉、天文台などを生かした観光が営まれています。

特産品・名産

  • 高山きゅうり
  • 月あかね(米)
  • りんどう

見どころ・祭り

  • 県立ぐんま天文台星を観察できる県立施設
  • ロックハート城欧州から移築された古城
  • 道の駅中山盆地農産物直売と温泉の拠点
  • 平形家住宅門屋国登録有形文化財

木ナラ花リンドウ鳥ヤマドリ高山村の木・花・鳥

高山村のなりたち

高山村(たかやまむら)は、群馬県吾妻地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに高山村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は吾妻郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
64km²今の面積

「高山村」という名前

「高山」の村名は、1889年(明治22年)4月1日に中山村と尻高村が合併して発足した際に採用されました。二つの旧村の名にはそれぞれ「山」と「高」が含まれ、現在も中山と尻高が村内の地域名として残っています。発足時は西群馬郡に属しましたが、1896年(明治29年)に吾妻郡へ移りました。その後も高山村の名を引き継いでいます。

まちの成り立ち

高山村には縄文時代の中山敷石住居跡があり、古くから盆地と谷に人々が暮らしていました。戦国時代には交通の要地として城が築かれ、中山や尻高に城跡が残っています。江戸時代には江戸と越後を結ぶ三国街道が通り、中山宿は人馬の往来で栄えました。平形家住宅門屋や塩原太助にちなむ馬つなぎの松などが、街道の歴史を伝えています。

1889年(明治22年)4月1日の町村制で、中山村と尻高村を合わせ、西群馬郡高山村が発足しました。1896年(明治29年)4月1日の郡の再編で、西群馬郡のほかの町村が群馬郡へ移る一方、高山村は吾妻郡に編入されました。昭和や平成の大合併でも他の市町村と合併せず、村として歩みを続けています。

周囲を山々に囲まれた中山盆地と、名久田川が流れる尻高の傾斜地では、米や野菜、りんどうなどの農業が営まれています。道の駅中山盆地には農産物の直売や温泉があり、農業と観光を結ぶ場所になっています。県立ぐんま天文台では山間の夜空に親しめ、欧州から移築されたロックハート城も来訪者を集めます。尻高人形芝居や各地の獅子舞など、街道と農村の暮らしから生まれた芸能も受け継がれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、中山村と尻高村が合併し、西群馬郡高山村が発足した。種類:町村制 出典:vill.takayama.gunma.jp
  2. 1896年4月1日明治29年西群馬郡高山村が吾妻郡へ編入され、所属郡が変わった。種類:郡の変更 出典:www.pref.gunma.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

高山村1889〜今

参考にした資料