今の大泉町
群馬県東南部、利根川の北側に広がる平坦な町です。南は川を挟んで埼玉県熊谷市に接し、東武小泉線の西小泉駅を中心に住宅地や商店が集まります。電気機器や輸送機器の企業が立地する工業の町で、海外からの住民も多く暮らします。ブラジルをはじめ世界の料理や文化に親しむ店や催しがあり、城之内公園やいずみ緑道、文化むらが憩いや交流の場所になっています。
今の大泉町の区域の人口は、2020年の国勢調査で42,089人です。今の区域で数えた1980年の31,282人とくらべると34.5%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.0%です。
主な産業:電気機器・輸送機器を中心とする製造業と、地域の商業・サービス業が盛んです。
特産品・名産
- シュラスコ
- ポン・デ・ケージョ
- ペルシアキャバッブ
見どころ・祭り
- 城之内公園(小泉城跡)小泉城跡と復元古墳がある公園
- いずみ緑道町内に続く水と緑の道
- 大泉町文化むら町の文化活動の拠点
- 活きな世界のグルメ横丁世界の料理を楽しむ催し
木けやき・さざんか・つつじ類(さつき含む)花チューリップ・サルビア大泉町の木・花
大泉町のなりたち
大泉町(おおいずみまち)は、群馬県東部地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。小泉町・大川村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の大泉町になりました。
今の名前「大泉町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の大川村が約12km²だったのに対し、今の大泉町は約18km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は邑楽郡に属していました。
「大泉町」という名前
「大泉」の名は、1957年(昭和32年)3月31日に大川村と小泉町が新設合併した際に生まれました。町名には、旧大川村の「大」と旧小泉町の「泉」の字が使われています。旧小泉町は1902年(明治35年)に小泉村が町制を施行した町でした。現在も東武小泉線や西小泉駅などに小泉の名が残り、大川の各地域とともに大泉町を形づくっています。
まちの成り立ち
大泉町の地域には古墳や中世の遺跡が残り、小泉城跡や児島高徳に関わる墳墓の伝承などが町の歴史を伝えています。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、邑楽郡小泉村と大川村が発足しました。小泉村は1902年(明治35年)7月25日に町制を施行して小泉町となります。1957年(昭和32年)3月31日、この小泉町と大川村が新設合併し、大泉町が誕生しました。
町は戦前から航空機などの軍需産業に関わり、戦後には電気機器や輸送機器の工場が集まる工業の町へ発展しました。1960年に首都圏都市開発区域に指定され、企業の進出とともに住宅や生活のための施設が整いました。東武小泉線の西小泉駅は町の交通拠点となり、工場と住宅地が平坦な町域に広がっています。
その後、工場で働く人々を中心に海外からの住民が増え、ブラジルをはじめとする国々の食文化や商店が育ちました。町内には世界の料理を味わう店が並び、食や文化を通じて交流する催しも行われています。小泉城跡のある城之内公園、いずみ緑道、文化むらなどが住民の憩いや文化活動の場となり、工業と多文化の暮らしが重なる町へ歩みを進めています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、邑楽郡小泉村と大川村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1902年7月25日明治35年邑楽郡小泉村が町制を施行し、小泉町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.gunma.jp
- 1957年3月31日昭和32年邑楽郡小泉町と大川村が新設合併し、大泉町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。