今の大野町
岐阜県の西部、揖斐郡に属する町で、濃尾平野の北西の端に位置します。北部には標高400m前後の低い山々があるものの、西を揖斐川、東を根尾川に挟まれた合流域にあたり、町の大半は平地です。豊かな水と平野を生かした農業が営まれ、バラ苗と富有柿は全国有数の産地として知られます。初夏にはバラ公園でバラまつりが開かれ、道の駅には季節ごとにバラ苗や柿が並びます。
今の大野町の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,041人です。今の区域で数えた1975年の17,173人とくらべると28.3%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.1%です。
主な産業:バラ苗や富有柿の生産が盛んで、全国有数の産地となっています。
特産品・名産
- バラ苗全国有数の産地
- 富有柿全国有数の産地。秋に道の駅に並ぶ
- バラや柿のお菓子特産品を使った土産菓子
見どころ・祭り
- 大野町バラ公園5月のバラまつりで多品種が咲く
- 道の駅 パレットピアおおの春はバラ苗、秋は柿が並ぶ
- 根尾川花火大会本巣市と共同で根尾川河畔で開催
- 黒野駅レールパーク旧黒野駅のミュージアムがある
- 野古墳群町内に残る古墳群
木もみじ花つつじ、バラ大野町の木・花
大野町のなりたち
大野町(おおのちょう)は、岐阜県西濃地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。富秋村・豊木村・西郡村・鶯村・川合村・大野村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の大野町になりました。
今の名前「大野町」は、1920年にあった大野村の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の大野村が約5km²だったのに対し、今の大野町は約34km²と、およそ6.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は揖斐郡に属していました。
「大野町」という名前
町名は、この地域がかつて属していた美濃国の「大野郡」に由来します。1897年(明治30年)、大野郡が池田郡とともに揖斐郡へまとめられた日に、黒野村・六里村・麻生村・相羽村・下方村が合併して「大野村」が生まれ、1932年(昭和7年)に町制を施行して大野町となりました。なお、これとは別に江戸時代からの大野村(現在の大字大野)もあり、こちらは1889年(明治22年)の合併で豊木村の一部となり、昭和の合併で再び同じ大野町に加わっています。
まちの成り立ち
大野町は、揖斐川と根尾川にはさまれた平野の町です。1889年(明治22年)の町村制のころ、この地は美濃国大野郡に属し、野村・西方村・桜大門村・大野村が合わさって豊木村が生まれたほかは、多くの小さな村がそのまま残りました。
大きな区切りは1897年(明治30年)4月1日です。この日、大野郡と池田郡が揖斐郡にまとめられ、それに合わせて村の合併が進みました。黒野村など5村から大野村が、牛洞村など4村から西郡村が、公郷村など4村から鶯村が、加納村・郡家村など9村から川合村が生まれ、翌1898年には稲富村など5村から富秋村が発足しています。
大野村は1932年(昭和7年)10月1日に町制を施行して大野町となりました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)4月1日に大野町・西郡村・豊木村・富秋村が新設合併し、改めて大野町が発足しました。1956年4月1日には鶯村を編入しています。
最後に加わった川合村には、複雑な事情がありました。村の南部の住民は安八郡神戸町との合併を望み、1957年には分村の住民投票まで行われましたが、法定の票数に届きませんでした。話し合いの末、西座倉地区を後に神戸町へ移すことを条件に、1960年(昭和35年)1月1日に川合村は大野町に編入され、同じ年の4月1日に西座倉地区が神戸町に編入されました。郡の境を越えて地区が移った珍しい例です。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、大野郡で野村・西方村・桜大門村・大野村が合併して豊木村が発足し、黒野村・六里村・稲富村・牛洞村・公郷村・加納村など周辺の村はそれぞれ単独の村となった。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年郡制の施行に伴い大野郡が廃止され、この地域の村はすべて新しく発足した揖斐郡に属することになった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年黒野村・六里村・麻生村・相羽村・下方村が合併して大野村が、牛洞村・瀬古村・中之元村・松山村が合併して西郡村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年公郷村・大衣斐村・小衣斐村・領家村が合併して鶯村が、加納村・郡家村・本庄村・上磯村・下磯村・西座倉村・下座倉村・五ノ里村・下南方村が合併して川合村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1898年3月7日明治31年稲富村・上秋村・古川村・寺内村・稲畑村が合併し、富秋村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1932年10月1日昭和7年大野村が町制を施行し、大野町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年4月1日昭和29年大野町・西郡村・豊木村・富秋村が合併し、改めて大野町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1956年4月1日昭和31年鶯村が大野町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1960年1月1日昭和35年川合村が大野町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1960年4月1日昭和35年大野町の西座倉地区(旧川合村の一部)が安八郡神戸町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。